引きこもり令嬢が完全無欠の氷の王太子に愛されるただひとつの花となるまでの、その顛末

14.絶対零度

「ねえ、本当にあのドレス、着て行かないの?」
「あんなの勿体なくて、とても着られないわ」

 ミレーナと何回目かの押し問答の末、リリアーナは手持ちの紺色のドレスを着た。これとてそれなりに装飾もあるものだが、あの銀のドレスを見たあとでは明らかに見劣りがする。

「王太子殿下にどう説明するのよ」
「どうって……」

 今度こそそのままを話すだけだ。
 わたしはあなたに相応しくない。
 あのドレスを着るに値しない。

 一緒についてくると言うミレーナを断って、一人で王宮に行った。久しぶりに見る夜会の煌びやかさに眩暈がするほどだった。

 それでも、これが最後だ。もう来ることなんてないだろう。ただの引きこもりに戻るだけだ。

 皆が楽しそうに笑っている。こういうことがずっとできなかったなとまた大広間の隅でリリアーナは思った。

 その輪の中心に、銀の輝きがある。今夜も彼は完璧で、一分の隙もない氷の王太子だ。
 一瞬、青い瞳と見つめ合った。離れていても顔が険しくなったのがわかった。

 人波をかき分けて、シルヴィオがこちらに向き直る。

 まるで海が割れるように彼の前に道ができて、喧騒に満ちていた大広間が、水を打ったように静かになる。

 彼が足を進める度に、この場の温度が一度ずつ下がるような心地がした。みしみしと氷が張っていく音までもが聞こえる気がする。

 端整な相貌が、リリアーナの前に立つ。彼は決して大柄な体格というわけではない。それでも、射抜くような視線に身が竦んでしまいそうになる。

 誰も彼もが、リリアーナを見ている。いや、正しくはシルヴィオを見ているだけなのだが、この状況なら同じことだ。

「あの方は一体」
「あまり見ない顔ね。けれど随分と……」
「ほらあなた知らないの。引きこもり令嬢って呼ばれている」

 再び観衆がざわめき出した。興味本位と嘲りの目が、いくつもいくつも自分を見ている。
 同じだ。あの時と。
 そう思ったら、膝ががくがくと震え出した。

「リリアーナ」

 地の底から湧き上がるような、低い声だった。氷の下に炎が燃えている。すぐに背が壁についた。もうこれ以上は後ろに下がれない。

「どうして」
 静謐で堅牢な怒気が、足首を撫でたかと思うと首筋まで這い上がってくる。

「どうして、あのドレスを着なかった」
 けれど丁寧な口調はあくまで常のままで、それが余計に恐ろしかった。

「ごめんなさい……ごめんなさい」

 怒りの根にあるのが悲しみなら、リリアーナは彼を傷つけてしまった。

「私の質問に答えてくれ、リリアーナ」
 あんなに触れたかった手が、伸びてくる。だめだ、このままだと動けなくなる。

「殿下には、お分かりになれないでしょう」

 口にしたら情けなくて悲しくて、涙が零れた。それは紺色のドレスに吸い込まれるようにしみ込んですぐに見えなくなった。

 輝ける者にはきっとわからない。リリアーナの気持ちなんて。

「わたしは、花にはなれないっ」

 自分の声だとは思えないような大きな声が出た。

 青い瞳が弾かれたように見開かれる。その隙にシルヴィオの手を振り払ってドレスの裾を掴み、大広間から逃げ出した。

 夜会の為に選んだ靴は踵の高いもので、とても走りやすいとは言えなかった。
 追いかけてくる足音は聞こえない。

 それでも、塗りこめたような闇の中を必死でリリアーナは走ったのだった。
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