引きこもり令嬢が完全無欠の氷の王太子に愛されるただひとつの花となるまでの、その顛末

17.夜の女王

 シルヴィオはランタンをテーブルの上に置いた。

 長い指が示したのは、リリアーナが何もないと思った場所。昼間に何度も目にしたのに、まるで趣が違って見えた。彼のとっておき。

 確かに、そこに花はあった。
 それはまるでこの夜を統べる女王のように、たおやかに艶然と。

「ちょうどそろそろ咲く頃だと思っていたんだ」

 やわらかな満月の光が、白い花弁を彩る。甘く上品な香りが、辺りに満ちる。

「月下百合。夕暮れから夜にかけてしか咲かない花だ」

 花弁の広がりが、ひどく似ていた。
 あの白銀のドレスに。

「たとえ誰にも見られることがなくても、そこで確かに咲いている」

 ただ天上に輝くこの月の為に。
 その気高さを、その淑やかさを。

「君のようだと思ったんだ」

 リリアーナを見つめてシルヴィオが微笑む。
 それはまるで、春風が吹いて分厚い氷が全て溶けていくようで。
 ふわりとやわらかな笑みだった。

「私が一番、好きな花だ」

 この人の目に、わたしはこんな美しいものとして映っていたのだろうか。

「そんなにつらい思いをしたのに、君は今日、ちゃんと夜会に来てくれた。適当な理由をつけて断ることだってできたのに」

 シルヴィオが少し屈んだ。

 ああ、そうだ。いつも彼はこうやって目線を合わせてくれる。
 ちゃんと、わたしを見てくれる。

「リリアーナ」

 底知れぬ闇を打ち払うような声が、己の名を呼ぶ。

「そもそも比べるようなものではないと思うが。君は目端が利くし、人の為に言葉を選んで口にできる人だ。それは紛れもない、得難い美点だよ」

 小さなこの両の手を、彼はぎゅっと握る。

「誰にも劣ってはいない。私が保証する」

「わたしは、わたしを知らないだけ……」
 青い瞳は、確かな強い意志を持って頷いた。

 名前のある花。
 誰かに選んでもらえるものにずっとなりたかった。

 それを全てシルヴィオが教えてくれた。

 大きな手がリリアーナの頬を拭っていく。自分はまだ泣いていたのか。その指先はどの花に触れる時よりも繊細で、やさしかった。

「すみません。もう、大丈夫ですから」

 これは悲しい涙ではないけれど、いい加減もう泣き止まなければ。これ以上、シルヴィオに迷惑を掛けてはいけない。

「大丈夫、か」

 それでもどうしてだろう。涙が止まらない。ごしごしと顔を拭っていたら、仏頂面に手を引っ張られてそのまま腕の中に囲い込まれた。

「君の『大丈夫』は信用ならない」

 澄んだ水辺のような匂いがする。シルヴィオが好んでつける香水なのかもしれない。

「気が済むまで泣くといい。だいたい君は我慢が過ぎる。もっと色んなことを好きにしていいんだ」

 胸板に手を置けばシャツ越しに、確かな拍動を感じる。それに合わせる様に、ぽんぽんと背中を叩かれた。

 この体温は、あたたかい。

 リリアーナが泣き止むまで、シルヴィオはずっとそうしてくれていた。
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