引きこもり令嬢が完全無欠の氷の王太子に愛されるただひとつの花となるまでの、その顛末

9.彼のとっておき

 結局眼鏡が直るまで一週間ほどかかった。他のものならそうでもないのだが、リリアーナの分厚いレンズは特注のもので時間がかかるのである。

 無事直った眼鏡をかけて、リリアーナは早速王宮に向かった。約束をしていたわけではないが、シルヴィオにお礼を言いたかった。事付けを頼むだけでもいい、そう思っていた。

 王宮に着いて侍従に事情を話すと、彼は温室にいるという。
「リリアーナ様でしたらお通ししてよいと伺っております」

 言われるがままに温室に向かうと、いつもよりも軽装のシルヴィオがスコップを持っていた。リリアーナの姿を認めると、彼は立ち上がって青い目を細めた。

「眼鏡は直ったようだな」
 リリアーナは首をぶんぶんと縦に振った。

 直っている。ついでに度数を調整したのでよりよく見えるようになったのだが、目の前が眩しすぎる。どんな恰好をしても氷の王太子は様になるので困った。少し度数を上げ過ぎたのかもしれない。

「先日はとんだ失礼を……」
「君が謝ることではない」

 はっきりとした物言いは突き放したようにも聞こえるが、その実そうではないということが少しずつリリアーナにもわかるようになった。少し前ならこれだけで怯んでしまいそうだったものだが、不思議と怖いとは思わなくなった。

「その、わたしはこれで」
「構わない。灰を撒くのは終わったんだ」
「灰を、撒くのですか?」

 そんなものが役に立つのだろうか。灰なんて、何の意味もない残り滓だろうに。
 屋敷にも庭はあるが、庭師に任せっきりでリリアーナには詳しいことは分からない。こんなことなら少しくらい聞いておけばよかった。

「ああ。落ち葉や枯れ木を燃やしたものはカリウムやリンを多く含んでいて、土壌の改善に繋がりなおかつ防虫効果があってだな。特に花つきが」

 朗々とした声が流れるように紡ぐ言葉がまるで呪文のように聞こえる。何がなんだか全く意味が分からなかった。リリアーナがぽかーんとしていると、怜悧な相貌は一つ大きく息を吐いた。

「簡単に言うと、きれいな花が咲く。以上だ」
 シルヴィオは実に明快にまとめてくれた。それだけは、よくわかった。

「せっかくだ。この前の埋め合わせをしよう」
 呆れられたかと思ったのに、長い指は手近な花を指さした。そうだった。花の名前を教えてくれると彼は言っていたのだ。

「これはゼラニウム」
 はじめて温室に来た日にシルヴィオが撫でていた花だ。

 その向こうはアイリス。その隣がストレリチア。淡々と彼は花の名前を挙げていく。

 名前のある花は幸せだ。他とは違う何かを見出された花は、そうやって名前を手に入れる。ただの雑草の名を、人は呼ばない。

「あれは、なんですか?」

 温室の一番奥に、細い緑の葉が茂っているところがあった。他の花は咲いているのにそこだけ何もない。

「ああ、あれはな」
 まさかあれだけ雑草なのだろうか。いや、シルヴィオに限ってそれはないだろう。けれどとても花のようには思えなかった。

「あれは私のとっておきだ」

 僅かにシルヴィオが口角を上げる。それを見て胸がきゅっとした。
 とっておきとは、なんて甘美な言葉だろう。彼の心の中に、この花が占める場所があるのだと明確に理解した。

 みっともないにもほどがある。分不相応だとずっと思っているのに。
 リリアーナはその花とも何ともつかない何かを羨ましいと思った。思ってしまった。
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