ノート
彼女が去った後 そのの2
Aのノートに書かれていた内容はこうだ。
彼女には生まれつきの病気を持つ小さな妹がいた。
Aとは小学校は別だったので、俺は知らなかったが、彼女が小5のとき、6歳で亡くなったらしい。
そういう環境だったため、Aはかなり幼いうちから「よいお姉ちゃん」であることを求められた。最近のことばでいう「きょうだい児」だったのだろう。
Aは中学校で、まずCと仲よくなった。説明が難しいが、波長が合ったらしい。
そこに、明るいが空気が読めないため、何となく仲間外れになりやすいBも加わって、3人グループのような格好になったらしい。
AはBの子供っぽいふるまいや依頼心の強さに軽くうんざりしつつも、何となく放っておけなかった。どこか亡くなった妹を思い出させるせいもあったのかもしれない。
周囲が自分とB、Cのことをどううわさしていたかは知っていたが、特に気にしなかったし、2人との付き合いはけっこう楽しかった。
何をしても「Aちゃんすごーい」と羨望のまなざしを向けられるのが気持ちよかったというのはうそではないだ、そのために付き合っていたわけではない、とも。
どうしてこんな言い訳がましいことを書くのかと思ったが、ノートに冷静に事実だけを並べているように見えて、実は「俺」への手紙なのだと考えたら、何となく受け入れられるようになった。
何があっても驚かない――とは言えないが、どれもこれも、「俺」に伝えたいことだったのだろう、と。
Aが高校で初めてできた彼氏は、「好きな人が女の子と2人で下校しているところを見かけて」ヤケになって告白にOKしたので、うまくいかなくても当たり前だった。「あのときの彼には、今さら謝っても迷惑かな。でもごめんなさいを伝えたい」と言う。
そんな感じで、誰と付き合ってもさしてうまくいかなかった。
Bの家にはしょっちゅう顔を出していたので、家族とはもともと顔見知りだった。
といっても高校2年のとき、Bの兄にプロポーズされたときはさすがにためらった。
「もちろん大学に進学するなら、卒業までは待つ」と言われた。
両親も巻き込んでの熱心なアプローチの末、腹を決める。
「プロポーズにOKしたときも、好きな人の顔は浮かんだけれど、自分にはこうなるのが既定路線のように思えた」
Aが高校を卒業後にすぐB家に嫁いだ背景は、こんな感じだったらしい。
俺はAのことを表面上のことしか知らない。
それでいて、彼女の様々な選択の一つ一つは、いかにも「彼女らしい」と想えてしまうのだから不思議なものだ。
今はもうこの世にいない彼女を思い、ちょっとしんみりとした気持ちで読んでいたが、あるページをめくると、急にトーンが変わった。
「夫が死んだので、私は出ていくつもりだった。薄情だと思うかもしれないが、ご両親の勧めもありがたかった」
「しかしBは『私のお姉ちゃんになってくれたのに、出ていくとか言わないでよ』と泣いてすがってきた」
AはBの涙にほだされて、家に残ることを決めた――わけではなかった。
病気と年齢の幼さのせいで、かわいいわがままを振り撒きながら死んでいった妹のことを思い出していた。
まだ小学生で、とびきり聞き分けがよく、とびきり優しい姉であることを義務付けられていたAには、思うところあったのだろう。
「Bは悪い子ではないが、時々たまらなく憎たらしく思える」
「憎いと思えば思うほど、私はBに優しい言葉をかけてきた」
「そうすることで、自分の邪悪さが打ち消されるような気がしたからだ」
優しい言葉の数々は、実はBを思ってのことではない。ただの「甘やかし」だった。
「妹は死んだが、Bは生きている」
「親に愛され、ぶくぶくと太り、何の努力もせずに気ままに暮らし、私に『お姉ちゃん』と言いながら腕を絡めてくる」
「このままではきっとBは、何一つ満足にできない、情けない大人になるだろう」
「『私がお嫁にいくまで、そばにいてね』と言われたときは、殺意が湧いた」
「コメひとつ満足に炊けないくせに、この子は何を言っているのだろう(いいぞ、もっと堕落しろ)」
「私はいつか、ふっと消えてしまいたい気持ちになるだろう」
「私がいなくなったら、Bはどうなるのだろう。想像すると……ちょっとワクワクする」
ワクワク……?
ここでまたページが変わる。これが最後のようだ。
長い文章、薄目のノート。それでも全部埋まるほどではない。
「私はあなたのことが好きでした」
「いけないことと思いつつ、夫が亡くなったときも、真っ先にあなたの顔が頭に浮かんでいました」
「あのとき、自由の身になっていたら、あなたに告白できたのかな」
「でも手遅れみたいです。さようなら」
***
多分、ふらふらと不安定な気持ちで書かれたであろう独白の数々。
AはBを甘やかしてスポイルし、そして捨てた。
つまりは――復讐ってことか?
「バカだな……いったい何やってんだよ」
俺はここまで読んでもなお、Aという人物をつかみ切れない。
今の俺には婚約者がいて、数カ月先に挙式を控えている。
Aが「未亡人」になったのは、俺が大学生の頃だ。
もしもあのときAに告白されていたら――いやそれより前に、高校時代に俺たちの間に何かあれば?
「たられば」で考えてもしようがない。
受け入れていたかもしれないし、拒んでいたかもしれない。当時の自分の気持ちなど覚えてはいない。
幸せになれる資格も才能もあったはずなのに、必要のない「退場」をしたA。
彼女の墓に花でも手向けたいが、俺は彼女の好きな花すら知らないのだった。