ノート

三人称視点


 作中「A」と呼ばれた少女は、大人になっても親友「B」のそばにいた。
 寄り添っていたというよりは、何くれとなく世話をし、心のケアをし、ひとりで立つことすらできない「大人」をつくり上げた後、さっさとこの世を自分の意志で去った。

 「ごめんなさい。さようなら」とだけ書かれた遺書を見て、Bはひたすら泣き狂い、Bの両親は、「Aちゃんはそんなにも息子を愛していたのか。そして後を追ったのか」と解釈せざるを得なかった。

 その裏には、「俺」と称する男に託されたノートのような真相があったが、「俺」はそのノートの内容を、墓場まで持っていく覚悟を決めている。
 彼にノートを渡したCも、たとえ読んでいたとしても、面白半分に口外することはないだろう。

 ところで、実はノートを受け取っていたのは「俺」だけではなかった。
 内容はほぼ同じではあるものの、「誰か特定の人に宛てて書いた部分」だけを微妙に変えながら、ほかに2冊書き残していたのだ。

 2冊とも、やはり中学時代の同級生だった男子に、おとなしくてAに一目置いていたタイプの女子を通して手渡させていた。
 「俺」に渡したC同様、やはり少し中をのぞいていたようだ。

 Aが中学時代、「俺」を憎からず思っていたのはうそではないだろう。
 しかしAは実は、「俺」だけを好きだったわけではない。

 自分のことをいい子ぶりっこだとあしざまに言っていた女子たちに、「くだらないこと言ってんじゃない」などとくぎを刺すタイプの男子が「俺」のほかに2人いて、Aはその計3人に漠然と好感を持っていた。
 逆に言えば、その程度のことをしてくれた(・・・・・)のがこの3人だけだったということだ。
 男子も女子も、Aのことを本当にどう思っているかに関係なく、調子を合わせて笑うだけの者も存外多かった。

 3人の共通点は、そこそこ整った容姿で、学業成績も優秀、性格温厚。
 みなAと付き合っていたら、それなりにお似合いのカップルになっていたのではないかと思われる。

 ほかの2人が「俺」と同様、そのノートについて自分の胸の内にしまうか、誰かに打ち明けるか、関係者に吹聴するか、どの選択をするかは分からない。多分、みんな自分だけの秘密にすることを選ぶのではないだろうか。それは誰にとっても平和で賢明なことだ。

 Aがなぜそのようなまどろっこしい方法を取ったのか、誰にも真意は分からない。
 強いて言えば、Aはきっと「悲劇のヒロインになりたかった」のではないだろうか。
 それを頭の中の想像や妄想で留める女は大勢いるが、ごくまれに実行してしまうタイプもいる。Aがその1人だっただけだ。

 似たようなタイプだった3人の少年は、何がしかの集まりで顔を合わせれば、会話くらいはするかもしれない。
 しかし、「Aが自分だけに残した大切な思い」を、あえてほかの2人にピンポイントで打ち明けるほどには親しくもないし。
 昔のアニメのエンディングテーマの歌詞ではないが、「みんなその気でいればいい」なのだ。

 万が一、3人が同じほぼ内容が書かれたノートを持っているとお互いに知り合ったとしても、A本人はもういない。
 3人の男だけが心を乱されしておしまい。

 悲劇のヒロインは、誰かの心に爪痕を残せれば、あとは「知ったこっちゃない」のだ。

【了】
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