ストーカー三昧・浪曲、小話、落語

講談1・お力(18)

…何にしろ菊の井は大損であらう、彼の子には結構な旦那がついた筈、取逃しては殘念であらうと人の愁ひを串談に思ふ者もあり、諸説乱れて取止めたる事なけれど、恨(うらみ)は長し人魂(ひとだま)か何か知らず筋を引く光り物のお寺の山と云ふ小高き處より、折ふし飛べるを見し者ありと傳へぬ」
と、かかる名調子にて一葉はお力の最後をまるで新聞報道で事実だけを伝えるように、ただ淡々と描いております。お力の無念のほども源七の男冥利と云うか覚悟のほども、2人それぞれの口を使っては何も述べておりません。但し、こちらも一見感慨無さ気を装ってはいますが「恨(うらみ)は長し人魂(ひとだま)か…」で始まる最後の3行にはお力の、あるいは一葉の(?)淡白を装った分だけ、実に深い恨み辛みが滲み出ているような気が致します。その恨み辛みとはお力で云えば自らを錯覚させているとは云え、やはり朝之助に添う前にダメ男(?)である源七に殺められてしまったことと、父・祖父から受け継いだ自らの因業を真っ正面から見つめて立ち向かい、これを解消できなかったがゆえでしょう。はたまた一葉で云えば我が貧しき身の上からの理想であった〝これだけで食べて行ける安定した職業作家〟に未だなれないということと、我が目指す〝魂と心と現実の一致〟に至らず仕舞いで終わることへの無念さでしょう。これを換言すれば魂の中の闇の領域を(陰)を消滅させ光で充たす…となりますが、まあしかし、これは…深遠なる宗教の分野に入り込むこととなり、またこれほど「口で云うは易けれど、行うは…」の最たる事柄はありませんので、ちょっと控えますが…何せ、お客様方に欠伸をされても困りますので。へへへ。

〔※「にごりえ」原文はすべて文藝倶樂部・青空文庫から引用しました〕
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