ストーカー三昧・浪曲、小話、落語

講談1・お力(22)

えー、ですから、これはつまりその…妾になるという悪行(?)を一葉は、お京をして世間に詫びている分けですね。お力が一葉の写し絵だったようにこのお京も一葉の最終的な写し絵でしょう。一葉はつまり「埋もれ木」のお蝶も「にごりゑ」のお力も、自分自身と、世の中のすべてをこの「別れ道」のお京の抱擁のうちに許し、これを魂の光へと昇華させているのです。であるならばいかがでしょうか?お客様。彼我の善悪を常に問い、これを責めたり許したりしている我々は、いかにも小児人なのではないでしょうか?人の、我々の心、なかんずく表面意識などいかにも浅薄なものです。その奥にはすべての世の中の規範を越えた潜在意識が、魂の領域がございます。この領域に達することは、これは常人では仲々叶いません。しかし数々の艱難辛苦と絶望の末に、奇しくもここに、魂の光の領域(許し、愛し、慈しむ世界)に達し得た一葉であるならば、我々はその抱擁の内に身を任せるべきなのではないでしょうか…。
 さて!(張り扇一擲!)あの方(客B)の横槍のせいで斯くも長き講談となってしまいました。へへへ。えー、では最後に、一葉の名歌一首を添えましてお力を弔い、終わりと致したいと存じます。

「いさゝ川渡らばにしきと計(ばかり)に散(ちり)こそ浮かべ岸のもみじ葉」〔※いささ:小さい〕

まさにこの歌の通りのことでございます。あの紅葉すれば美しい、高木となる楓(かえで)ではあってもそれが川岸に生えているならば、歩いて向こう岸に渡ることはできません。

【お京が吉三を抱くイメージです。「坊や(吉っちゃんや)、私のことを許してね。嫌わないでね」と云っているような、ここにピッタリの写真です。from Pixabay, by AdinaVoicu ↓】
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