ストーカー三昧・浪曲、小話、落語

講談1・お力(24)

お力で云えば先の述懐に加えて「私は酌婦だけどいつか朝之助の内儀になって見せる」でしょうか?で、ですよ。ですから、これが源七に投影した先の一姿という分けです。
 では今ひとつの投影とは何だったのでしょう?
これは…敬愛する一葉さんの手前ちょっと云いにくいですが、そのう…半井桃水だったのではないかと思うのです。一葉に小説のイロハを手解きし一葉が(時に女として?)敬愛していた桃水は、往時朝日新聞の新聞小説家の地位にありましたが余り作品の評判が芳しくなく、経済的に困窮していたと云います。彼は門下生だった一葉の才能を見抜き、これにと云うか、それが嵩じて一葉自身に、好意的な感情以上のものを抱いていたとされています。妻帯者だったが既に離婚しており、また下に写真を掲載した通りの好男子だったこともあって、一葉の彼への想いも相当なものであったことは一葉が残した日記からも容易に知れます。すればどうでしょう?この関係とシチュエーションは源七とお力のそれに被りはしますまいか。であるならば、お力が源七を憎かろう筈はございません(例え生活に破綻を来たしていようともです)。この愛する源七に、(もし)半井桃水に殺められるのであればお力は、一葉は、敢てそれを肯じ得たかも知れないのです。ですからこれだけのことであったらば、決して前言の「御霊は浮かばれずに迷うたままなのでしょう」ということはないですね。ではなぜそう云ったかと申しますと、それはやはり父・祖父からの因業を解消できなかったことと朝之助に添うことができなかったがゆえ…なのがお力で、方やの一葉で云えば職業作家になれなかったことと、言文一致ならぬ作品と人生の志が一致できなかったがゆえの無念、御霊の彷徨いということに相なりましょう。

          【半井桃水写真。ネット上から拝借しました】
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