ストーカー三昧・浪曲、小話、落語

講談2・ラメチャンタラギッチョンチョンデ(4)

で、その心は…と申しますと、これを云えば是非もなし、今やっているこの講談を止めねばなりませんが、そのう、つまり…ハッキリ平たく云えば「まったく、この俺はよ。ストーカーストーカーと百曼陀羅しやがってよ、見っともねえったらありゃしない。バカじゃねえか?そんなことに人様が興味持つと思うのか?自分が被っている酷(ひど)さ、理不尽さ、悲哀を述べるだけなら、そんなもん止めちまえよ。ハッキリ云ってな、人様から笑われるだけだぜ」という〝自分を諫める気持ちがそこにはある〟ということです。それで…もしそのような自己憐憫しかそこにないのだったら確かに講釈を自重すべきですが…しかしつらつらと慮りまするに、必ずしもそうとは、そればかりとは云えないと思うのです。この、いま現在わが身で受けている苛みが、実は私のみならず他人様にも、いやそれどころか広く世間一般にもあるのだと、そう確信するからです。パワハラ、セクハラを始め諸々の格差から来るところのイジメや苛みは、皆様方に置かれましても、多少なりとも身に覚えがあるのではありませんか?尤も「それが世間というものだ、人の持つ性でありそれが無ければこの世は疾っくに天国になってるよ」と云われてしまえばそれまでですが。が、かかし…い、いや、しかしですよ、お客様。しかし「それが世間というものだ」とおっしゃるその世間をば、よおく、つらつらとお振り返りください。例えば「それが世間」では決して済まないあのガザの有様を。僭越ながら私は次のような和歌を一首認めさせて頂きました。
「あはれいかにこの子の涙身に染まむ馴るるはならじガザの酷景」と云うのです。序でにこの歌を誘ったツイッター上から引いた写真もご覧ください。↓
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