寵姫は正妃の庇護を求む
第22話 しばしの安らぎ
「質問いいかな、ソウビ」
メルク王子の口調は世間話をする時のように軽い。
「貴族の手下は国境を越えて、ここまで追ってきたりする?」
「ううん、そんな展開はなかったはず」
「展開、ね……」
『ガネダン』はまだ一周しかプレイしてない。
だからあの貴族や賊たちが、別のルートでどんな行動を取ったかまでは知らないのだ。
けれど、ネットの感想を見る限り、攻略キャラによって展開が大きく変わることはなかったように思う。
「……」
メルクはしばらくの間、何か考え込んでいるようだった。
だが急に立ち上がると、屈託のない笑顔をこちらへ向けた。
「とりあえずさ、飯にしようぜ、飯!」
突然の提案に、皆は呆気にとられる。
「メルク? 何、急に……」
困惑しているチヨミに、メルクはウィンクを返す。
「姫さんの話だと、魔の手はここまで伸びないらしい。なのに、気を張り続けたら疲れちまうだろ?」
メルクがベルを鳴らす。やがて皿を手にした使用人たちが次々と部屋へ入ってきた。
私たちの目の前に、湯気の立つ料理が並べられる。
(わ……!)
立ち上る湯気からは、馴染んだ匂いがする。
(お出汁! お出汁の香りだ!)
「今日は大変なことがあって疲れてるはずだ。ヒノタテの料理、たっぷり用意させたから心ゆくまで食べてくれ」
ナイフとフォークを操り、きれいに盛り付けられた料理を口に運ぶ。
(うっまぁ!)
魚の和風煮物の味だった。
(なんかお箸で食べたい味! あと、白ご飯欲しい! 最近ご無沙汰だった味付けで、ひときわおいしく感じる!)
「ははっ、姫さんはずいぶん幸せそうに食うなぁ」
「だって、これ、おいしっ!」
「そりゃあ、光栄の至り」
メルクは茶目っ気たっぷりに笑うとテーブルを見回した。
「浴場には、近くの温泉地から湯を引いてある。あとでゆっくりと楽しむといい」
(温泉!?)
「わぁ、それは興味深いね」
「かたじけない、メルク殿」
これまで固い表情のままだったユーヅツとテンセイが、口元をほころばせる。
「なに、チヨミちゃんは命の恩人だからね。命の礼は命で返す」
そう言ってメルクは、チヨミに視線を向ける。
「ここにいる限りは、君に手出しさせやしないさ」
それは一国の王子らしい、気品のある心強い笑顔だった。
ヒノタテに滞在し始めてから数日経った。
その日も夕食を終え、私は腹ごなしに夜の庭園を一人散歩していた。
(食事は美味しいし、温泉付きだし。ヒノタテって、いい国だな)
温泉旅行にでも来ている気分だ。
ヒナツの言動にストレスをためることのない毎日。
この世界に来て初めて、開放感らしきものを味わっている気がする。
(庭園もロマンティックで素敵)
夜の空気は冷たすぎず、心地よい風が肌をくすぐる。
星空の中に蒼い月が輝いていた。
(もちろん、ここでのんびりしているだけじゃいけないんだけど)
国に残してきたラニのことが気にかかる。
けれど今はもう少し、心を休ませてほしかった。
命を狙われたチヨミに、すぐ国に戻るよう提案することもはばかられた。
東屋の見える場所まで差し掛かった時、そこに人影が二つ並んでいるのが見えた。
(あっ、あれは……)
咄嗟に植え込みに身をひそめる。
二つの影は、チヨミとメルク王子だった。
「メルク、どうして私にこんなに良くしてくれるの?」
月の光を浴びたチヨミは、とてもきれいだった。親しみやすい愛らしさの中に神々しい美しさまで加わって。
「愚問だね。言ったろ? チヨミちゃんに恩を返しに来たって」
「メルク……」
私はそのまま二人の会話に耳を傾ける。
「チヨミちゃん、君たちは予定を変更して隣国へちょっとしたバカンスに出かけた。ただそれだけのことさ。イクティオの王室にはそう連絡しておいたから心配いらないよ」
「いつの間に……」
本当に、いつの間に?
(てか、私たちの居場所を伝えちゃってるの? それってまずくない? 刺客とか差し向けられない?)
「国境を越えて刃傷沙汰を起こせば国同士の問題になる。奴らはそう簡単に手出しできないはずさ」
(な、なるほど……)
メルクが東屋の桟に腰かける。
「ま、ここでしばらく休んで行きなよ、チヨミちゃん。色々大変だったんだろ? いつまでいたってかまわないからさ」
「ありがとう、メルク。それにしても、ふふっ」
チヨミが楽しそうに笑っている。ここまで人に気を許した笑顔、見るのは初めてだった。
「なんだい、チヨミちゃん? 急に笑って」
「あなたが牢に囚われていたいきさつを思い出したの、メルク。お忍びでイクティオ国に来たら、フリャーカの反乱が始まって、ごたごたの中で投獄されたなんて」
「笑い事じゃないよ。その後、新しく王が立ったのに一向に開放されないしさ」
「身分を証明するものを忘れてくるからよ。お忍びだからって、ちょっと羽目を外しすぎだったんじゃない?」
「まぁね。キミが事前に僕の顔を知っててくれて助かったよ。それに牢にいた僕を見つけてくれたのも」
「身分を証明するものがなかったから、こっそり逃がすしかなかったけどね。あなたの顔、王子なのになぜか知られてないんだもの。私だってあなたのこと、ただの旅行者だと思っていたのよ? それにしても」
チヨミは桟に腰かけたメルクの正面に回り、顔を覗き込む。
「王子が姿を消したってのに、ヒノタテで全く騒ぎになってなかったわね? 王宮にいてもそんな話、全く伝わってこなかったもの。どういうことなの?」
「……」
メルクはあいまいに微笑み、やがて妙に明るい表情を浮かべた。
「まっ、いろいろ事情があるのさ!」
(あぁ、それはね!)
私はメルクの代わりに、心の中でチヨミに答える。
メルクの事情は、彼を攻略すれば明らかになる。
私はまだ一周しかプレイしていないので、メイン3人を攻略後にしか解放されない彼のイベントの情報は、SNSでの受動喫煙のみだけど。
メルクはヒノタテ王室における庶子、つまり王と側室との間に生まれた王子なのだ。
第三王子でありながら幼いころから出来が良く人望を集めるメルクを、正妃は目の敵にする。自分になにかしらの罪をかぶせ排斥しようしている気配を察し、メルクは離宮に引きこもり、公の場に顔を出さないようになってしまったのだ。
いなくなったらいなくなったで、好都合としか思われてなかったらしく、引きこもり王子はそのままこの離宮で成人を迎える。その判断を僅か10歳でやってのけたのだから、頭が切れるのは間違いない。
(くぅう、語りたい! 語りたいけど、また余計なこと言って怪しまれるのはいやだ)
それに、勝手に御家事情をばらされるのは、メルクだっていい気がしないだろう。
そんなことを考えながら、二人の会話にさらに耳を傾けようとした時だった。
「くっそ、あの野郎! 姉さんに馴れ馴れしい……!」
近くの木の陰から聞き覚えのあるツンツン声が聞こえてきた。
「姉さんも姉さんだ! 昔から警戒心が足らなさすぎるんだよ! これだから俺が側についててやらなきゃ危な……」
タイサイが、植え込みの陰に身を潜めていた私に気づく。
「……」
「……コンバンハ」
「なんでいる!?」
メルク王子の口調は世間話をする時のように軽い。
「貴族の手下は国境を越えて、ここまで追ってきたりする?」
「ううん、そんな展開はなかったはず」
「展開、ね……」
『ガネダン』はまだ一周しかプレイしてない。
だからあの貴族や賊たちが、別のルートでどんな行動を取ったかまでは知らないのだ。
けれど、ネットの感想を見る限り、攻略キャラによって展開が大きく変わることはなかったように思う。
「……」
メルクはしばらくの間、何か考え込んでいるようだった。
だが急に立ち上がると、屈託のない笑顔をこちらへ向けた。
「とりあえずさ、飯にしようぜ、飯!」
突然の提案に、皆は呆気にとられる。
「メルク? 何、急に……」
困惑しているチヨミに、メルクはウィンクを返す。
「姫さんの話だと、魔の手はここまで伸びないらしい。なのに、気を張り続けたら疲れちまうだろ?」
メルクがベルを鳴らす。やがて皿を手にした使用人たちが次々と部屋へ入ってきた。
私たちの目の前に、湯気の立つ料理が並べられる。
(わ……!)
立ち上る湯気からは、馴染んだ匂いがする。
(お出汁! お出汁の香りだ!)
「今日は大変なことがあって疲れてるはずだ。ヒノタテの料理、たっぷり用意させたから心ゆくまで食べてくれ」
ナイフとフォークを操り、きれいに盛り付けられた料理を口に運ぶ。
(うっまぁ!)
魚の和風煮物の味だった。
(なんかお箸で食べたい味! あと、白ご飯欲しい! 最近ご無沙汰だった味付けで、ひときわおいしく感じる!)
「ははっ、姫さんはずいぶん幸せそうに食うなぁ」
「だって、これ、おいしっ!」
「そりゃあ、光栄の至り」
メルクは茶目っ気たっぷりに笑うとテーブルを見回した。
「浴場には、近くの温泉地から湯を引いてある。あとでゆっくりと楽しむといい」
(温泉!?)
「わぁ、それは興味深いね」
「かたじけない、メルク殿」
これまで固い表情のままだったユーヅツとテンセイが、口元をほころばせる。
「なに、チヨミちゃんは命の恩人だからね。命の礼は命で返す」
そう言ってメルクは、チヨミに視線を向ける。
「ここにいる限りは、君に手出しさせやしないさ」
それは一国の王子らしい、気品のある心強い笑顔だった。
ヒノタテに滞在し始めてから数日経った。
その日も夕食を終え、私は腹ごなしに夜の庭園を一人散歩していた。
(食事は美味しいし、温泉付きだし。ヒノタテって、いい国だな)
温泉旅行にでも来ている気分だ。
ヒナツの言動にストレスをためることのない毎日。
この世界に来て初めて、開放感らしきものを味わっている気がする。
(庭園もロマンティックで素敵)
夜の空気は冷たすぎず、心地よい風が肌をくすぐる。
星空の中に蒼い月が輝いていた。
(もちろん、ここでのんびりしているだけじゃいけないんだけど)
国に残してきたラニのことが気にかかる。
けれど今はもう少し、心を休ませてほしかった。
命を狙われたチヨミに、すぐ国に戻るよう提案することもはばかられた。
東屋の見える場所まで差し掛かった時、そこに人影が二つ並んでいるのが見えた。
(あっ、あれは……)
咄嗟に植え込みに身をひそめる。
二つの影は、チヨミとメルク王子だった。
「メルク、どうして私にこんなに良くしてくれるの?」
月の光を浴びたチヨミは、とてもきれいだった。親しみやすい愛らしさの中に神々しい美しさまで加わって。
「愚問だね。言ったろ? チヨミちゃんに恩を返しに来たって」
「メルク……」
私はそのまま二人の会話に耳を傾ける。
「チヨミちゃん、君たちは予定を変更して隣国へちょっとしたバカンスに出かけた。ただそれだけのことさ。イクティオの王室にはそう連絡しておいたから心配いらないよ」
「いつの間に……」
本当に、いつの間に?
(てか、私たちの居場所を伝えちゃってるの? それってまずくない? 刺客とか差し向けられない?)
「国境を越えて刃傷沙汰を起こせば国同士の問題になる。奴らはそう簡単に手出しできないはずさ」
(な、なるほど……)
メルクが東屋の桟に腰かける。
「ま、ここでしばらく休んで行きなよ、チヨミちゃん。色々大変だったんだろ? いつまでいたってかまわないからさ」
「ありがとう、メルク。それにしても、ふふっ」
チヨミが楽しそうに笑っている。ここまで人に気を許した笑顔、見るのは初めてだった。
「なんだい、チヨミちゃん? 急に笑って」
「あなたが牢に囚われていたいきさつを思い出したの、メルク。お忍びでイクティオ国に来たら、フリャーカの反乱が始まって、ごたごたの中で投獄されたなんて」
「笑い事じゃないよ。その後、新しく王が立ったのに一向に開放されないしさ」
「身分を証明するものを忘れてくるからよ。お忍びだからって、ちょっと羽目を外しすぎだったんじゃない?」
「まぁね。キミが事前に僕の顔を知っててくれて助かったよ。それに牢にいた僕を見つけてくれたのも」
「身分を証明するものがなかったから、こっそり逃がすしかなかったけどね。あなたの顔、王子なのになぜか知られてないんだもの。私だってあなたのこと、ただの旅行者だと思っていたのよ? それにしても」
チヨミは桟に腰かけたメルクの正面に回り、顔を覗き込む。
「王子が姿を消したってのに、ヒノタテで全く騒ぎになってなかったわね? 王宮にいてもそんな話、全く伝わってこなかったもの。どういうことなの?」
「……」
メルクはあいまいに微笑み、やがて妙に明るい表情を浮かべた。
「まっ、いろいろ事情があるのさ!」
(あぁ、それはね!)
私はメルクの代わりに、心の中でチヨミに答える。
メルクの事情は、彼を攻略すれば明らかになる。
私はまだ一周しかプレイしていないので、メイン3人を攻略後にしか解放されない彼のイベントの情報は、SNSでの受動喫煙のみだけど。
メルクはヒノタテ王室における庶子、つまり王と側室との間に生まれた王子なのだ。
第三王子でありながら幼いころから出来が良く人望を集めるメルクを、正妃は目の敵にする。自分になにかしらの罪をかぶせ排斥しようしている気配を察し、メルクは離宮に引きこもり、公の場に顔を出さないようになってしまったのだ。
いなくなったらいなくなったで、好都合としか思われてなかったらしく、引きこもり王子はそのままこの離宮で成人を迎える。その判断を僅か10歳でやってのけたのだから、頭が切れるのは間違いない。
(くぅう、語りたい! 語りたいけど、また余計なこと言って怪しまれるのはいやだ)
それに、勝手に御家事情をばらされるのは、メルクだっていい気がしないだろう。
そんなことを考えながら、二人の会話にさらに耳を傾けようとした時だった。
「くっそ、あの野郎! 姉さんに馴れ馴れしい……!」
近くの木の陰から聞き覚えのあるツンツン声が聞こえてきた。
「姉さんも姉さんだ! 昔から警戒心が足らなさすぎるんだよ! これだから俺が側についててやらなきゃ危な……」
タイサイが、植え込みの陰に身を潜めていた私に気づく。
「……」
「……コンバンハ」
「なんでいる!?」