寵姫は正妃の庇護を求む

第26話 身代わり

 無事狼藉(ろうぜき)者を追い払い、私たちはアルボル卿と共にメルクの離宮へと帰還した。

「メルク王子、改めて礼を言わせてください。命を救っていただいた上、こちらへ招き入れてくださったこと感謝いたします」
 アルボル卿が深々と頭を下げる。
(おぅ、イケオジ!!)
 年は重ねているが、顔立ちが整っている。誠実な眼差しは、チヨミと良く似ていた。
「あー、そういう堅苦しいのはなしで」
 へらっと笑いながら、メルクは手を軽く振る。
「命の恩人であるチヨミちゃんのお父上に、僕が手を差し伸べないわけにはいかないでしょう」
「それでも礼を言わせてください。私だけでなく、娘と息子の命まで……」
「お父さん……」
 そっと身を寄せてきた娘を、アルボル卿は宝に触れるように優しく抱き寄せた。
 ゲームプレイ中は私にとっても父親であったキャラだ。見ているとなんだかそわそわしてしまった。

「なぁ、父さん。イクティオで何があったんだよ」
 タイサイも、アルボル卿の側に寄ると、その腕に軽く触れる。
「あの使用人がバカやったってのは、大体予測ついてるからさ」
「……」
 アルボル卿は悲しげに瞼を伏せると、大きくため息をついた。
「あの男を取り立てたのは、私だ。きっと稀代の英雄となる、そう見込んで力と機会を与えたのだが、間違いだった。私は、娘を不幸にし、国を亡ぼす悪魔を育ててしまったのかもしれない……」
「お父さん」
 アルボル卿の自責の念に満ちた声は、とても痛々しく、聞いているだけで胸が締め付けられた。
「ねぇ、どうしてお父さんが追放されなきゃいけなかったの?」
「正妃であるお前をないがしろにし、年若い愛妾にうつつを抜かしていることに、まず苦言を呈した。そしてラニ様のために、神聖なるドラゴンミルクを毎日のように献上させていることについても」
(やっぱりドラゴンミルク来ちゃったかぁ……)

 予測はしていたが、「あ~ぁ」という気持ちだ。
 一方チヨミは驚きに目を見開く。
「ドラゴンミルクを毎日!? 一体何のために? まさか連日、ヒナツは何かと理由をつけて祝宴を開いて乾杯してるってこと?」
「それならまだましかもしれん。ドラゴンミルクが本来の役割を果たしているのだから。あろうことかあの男は、その神聖なるミルクをラニ様の入浴に使っているのだ」
「ひどい! なんて罰当たりな……!!」

(あー、やっちゃってる。やらかしちゃってるよ、ラニ……!)
 本来、私と言うかソウビがやらかすはずだった失敗が、妹によって行われたと知り、頭を抱える。自分の失態を、再現して見せられている気分だ。
(でも、ラニは13歳だよ!? お肌のコンディションとか気にするの早くない!?)
 私の心の声が聞こえたかのように、アルボル卿が言葉を続ける。
「ラニ様はお年頃だ。あの年齢特有の吹き出物が顔に出るようになったらしく」
(あー、ニキビかぁ。そっちかぁ。あの年齢だと出ちゃうよねー……。って、いや、出るの!? 物語の美少女にもニキビってできるの!? それにあんなラッシーみたいなもの塗りたくったら、余計に毛穴詰まっちゃわない!?)
 その疑問についても、まるで心を読んだかのようにアルボル卿は答えてくれる。
「怪しげな妖術師がそそのかしたのだ。ドラゴンミルクが肌に良いと。すっかりそれを信じたラニ様は、ヒナツにドラゴンミルクをねだり、ヒナツはそれに応えるため、民に負担をかけている」
(うぅ、同じだよ……。ソウビの時と展開同じだよ。妖術師かぁ、そういやそんな話だったわ。いたわ、妖術師)

 アルボル卿は額を押さえ、肩を落とす。
「仮にも元はあの男の主であった私だ。娘を嫁がせた義理の父親でもある。少しは聞く耳持ってくれるものと、信じていたのだが……」
「やっぱサイテーだな、あの使用人。恩をあだで返しやがって!」
 いきり立つタイサイに、ユーヅツが静かに返す。
「逆だよ」
「逆?」
「ヒナツはずっとコンプレックスを抱えていた。もともとは一貴族の使用人に過ぎず、高貴な血を継いでいないことを」
 ユーヅツが長い睫毛を伏せる。
「ヒナツは自分が使用人だった頃の主人を、もう見たくないんだ。何も持たなかった頃の自分を思い出すから」
「だからって、あの使用人……!」
「タイサイ。君は逆賊フリューカを討つための道行きの間、ヒナツに何度かその言葉をぶつけたよね。ボクたちはそのたびにたしなめていたけど」
「ぐっ! だって、それは……」
「それも、彼の根深いコンプレックスの一因だと思うよ」
 愛する義姉を奪われた少年の、精いっぱいの抵抗だったのだろう。
 気まずげに下唇を噛むタイサイから目を逸らし、ユーヅツは続ける。
「たとえ苦言を呈しなくても、ヒナツはいずれ理由をつけて、アルボル卿を追放してた可能性が高い。忘れたい過去を斬り捨てるために」

 応接室がしんと静まり返る。
「ふ、ふふふ……」
 アルボル卿が片手で目元を覆ったまま、肩を震わせた。
「なんということだ。私は人を見る目に自信があった。事実、養子に迎えたタイサイはこんなに立派に育ってくれた」
「父さん……」
 アルボル卿が、手を下ろす。その目は涙を含み赤くなっていた。
「……あれが王位についた時は、高揚を覚えたよ。国を背負う男に娘を嫁がせてやれた、そう思ったのだが……。私の目は、曇っていたのだな」
 アルボル卿ははらはらと涙を流しつつ、声を震わせる。
「今、国内ではヒナツに反感を持つものが急増している。また、大きな戦になるかもしれん。私の育てた悪魔のせいで、再び愛する国が戦火にさらされるのか……」
「お父さん……」
 後悔にむせび泣く老父を、姉弟が左右から支える。私たちは言葉を無くし、彼らからそっと目を逸らした。

(現時点で、ソウビとラニが入れ替わっている以外は、原作通りの流れだ)
 愛妾がドラゴンミルクをねだり、王がそれに従い、負担を強いられた民が王に反感を持つようになる。
 私は初めて見たあの夢を思い出す。
 味方の誰もいない暗い森。
 農具を持った村人たちから向けられた、剥き出しの憎悪。
 胸を貫いた刃の痛み。
 私はゾッと身を震わせる。
(このままではソウビの代わりに、ラニがあの最期を迎えることになる!)
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