寵姫は正妃の庇護を求む
第27話 チヨミの想い
アルボル卿の亡命から半月ほど経過した、ある日の朝。
(ん、何だか騒がしいな……)
窓の外から届くざわめきで目を覚ます。学校の全校集会なんかで聞いた、あの音に似ていた。
私はベッドから起き上がるとカーテンを開く。
一瞬白い光に目を射られ、やや経って眼下の光景が見えてきた。
「ぅお!?」
中庭に、大勢の人間がひしめき合っている。老若男女、一様に汚れ、やつれた顔つきをして。
(誰、この人たち!?)
「よぉ、姫さん。おはようさん」
着替えて廊下へ飛び出した私に、メルクが陽気な声で挨拶してきた。
「メルク王子! なんか中庭にボロボロの人がいっぱいいる!」
私が焦ったように言うと、彼は少し不思議そうに首を傾げる。
「イクティオから逃げてきた民だよ」
「!」
「チヨミちゃんに王になってほしいんだと。ヒナツを倒して」
(あ……)
まだ寝ぼけていた頭が、少しずつ働き始める。
「姫さんでも知らないことはあるんだな」
「え? あぁ、うん」
意外そうに言うメルクに、私は頷いた。
このシーン、ゲームではざわめきの効果音が流れ、「人が中庭を埋め尽くしていた」とテキストに記されただけだった。視覚的な情報がなかったため、実際に目にする光景はインパクトが強かった。
(そっか。ついにチヨミ軍反撃のターンまで来ちゃったんだ……)
『Garnet Dance』で言うところの第八章。既に物語は終盤に差し掛かろうとしていた。
■□■
朝食後、チヨミが庭園にいると聞いた私は、そこへ向かった。
チヨミはベンチに腰掛け、ぼんやりと空を見上げていた。
「はぁ……」
ため息をついているチヨミの背後にそっと回り込み、私は彼女の目を両手で覆う。
「チ~ヨミッ♪」
「きゃあ! そ、ソウビ?」
「正解」
私は手を離し、振り返った彼女に笑いかける。
「チヨミ、隣座ってもいい?」
「うん、どうぞ」
私は彼女の隣へ腰を下ろす。
チヨミは浮かない表情のまま、かかとで地面を蹴っていた。
「……なんかすごいことになっちゃったね。イクティオからの避難民があんなに」
私が言うとチヨミは細く息を吐く。やがてぽつりと呟いた。
「みんなからヒナツを倒せって言われたの」
「……」
「無理だって言ったんだけどね。あの戦の神みたいなヒナツに、私なんかが敵うはずないって」
チヨミは空を仰ぎ、困ったように笑う。
「でも、かつて私の策で命を長らえた人たちがいてね。私に期待を寄せているみたいなんだ」
「そっか……」
知ってる。ゲームをしてた時は、私がその立場だったから。
序盤の戦いの最中、逃げ遅れた民を途中で発見して、何とか自分に敵の注意をひきつけて逃がしたんだよね。ゲーム内ではテクニカルなマップで、ちょっとミニゲーム要素のある戦闘だった。
あれに助けられた人が周囲に主人公の機転を語り、時間を経ることに人々の間に主人公への期待が高まってゆく。その結果が、今の状況だった。
「国の状況は、先日、父から聞いた通り。本当に、荒れてしまってる……」
チヨミは目を閉じ、額に手を当てると悲し気に眉根にしわを寄せる。
「ヒナツは国家予算をラニのわがままのため、ガンガン使ってしまってるの。公共事業や福祉なんかは削り放題。軍事費も削ってしまったから、今、武器や鎧もボロボロなんだって。その状態で民にドラゴンミルクを採りに行かせるから、怪我をしたり亡くなったりする人が続出してるとか……」
同じだ。原作ゲームでもそうだった。
国民から集めた税金を還元することなく、ヒナツはお小遣い感覚で使ってしまっているのだ。
(きっとラニのおねだりだけじゃなく、ヒナツ自身も積極的にラニへ大量のプレゼントをしてるんだろうな。私にそうしてたように……)
けれど民はそうは思わない。
愛妾がわがまま放題で、王はそれを甘やかし続けてると考える。結果、国中のヘイトは寵姫に集まるのだ。
初めてソウビになった夢を見た時の、あの逃走時の恐怖を思い出す。
自分はただ生きたかった。
望まぬ男に媚びを売り、趣味でないドレスに喜んで見せ、苦手な酒を口にした。
ドラゴンミルクでの入浴も、後ろ盾を失わぬための努力の一つ。美しさを保たねばヒナツに見捨てられてしまう、そんな恐怖が常に付きまとっていた。
全ては死にたくないがための必死の行動だった。
今、その気持ちはラニが味わっているのだろう。
「ヒナツと、戦いたくないなぁ……」
チヨミが顔を両手で覆い、深いため息をつく。
「凶悪だもんね、あの戦いぶりは。私も、出来ればあんなのと剣を交わしたくない」
ウツラフ村での彼の鬼神のごとき戦いぶりを思い出し、私はチヨミに同意する。ゲームでは「強いなぁ、固いなぁ」くらいにしか思わなかったヒナツだが、実際に戦う姿を見てしまうと、あれと刃を交わそうなんて考えるのは正気の沙汰じゃない。
「でもチヨミの策があれば、きっと大丈夫だよ! きっと勝てるって!」
そう、チヨミ単体では火力でヒナツに及ばない。けれど彼女は、知力で味方に指示を出し、戦場を制する有能キャラだ。『ガネダン』を一度クリアしている私は、チヨミがヒナツとの戦いに勝利することを知っている。だから絶対に大丈夫、そう無邪気に励ましたのだが。
チヨミの返答は意外なものだった。
「違うの、ソウビ。私がヒナツと戦いたくないのは、彼が恐ろしいからじゃない。……私ね、今もヒナツが好きなの」
「は?」
(ん、何だか騒がしいな……)
窓の外から届くざわめきで目を覚ます。学校の全校集会なんかで聞いた、あの音に似ていた。
私はベッドから起き上がるとカーテンを開く。
一瞬白い光に目を射られ、やや経って眼下の光景が見えてきた。
「ぅお!?」
中庭に、大勢の人間がひしめき合っている。老若男女、一様に汚れ、やつれた顔つきをして。
(誰、この人たち!?)
「よぉ、姫さん。おはようさん」
着替えて廊下へ飛び出した私に、メルクが陽気な声で挨拶してきた。
「メルク王子! なんか中庭にボロボロの人がいっぱいいる!」
私が焦ったように言うと、彼は少し不思議そうに首を傾げる。
「イクティオから逃げてきた民だよ」
「!」
「チヨミちゃんに王になってほしいんだと。ヒナツを倒して」
(あ……)
まだ寝ぼけていた頭が、少しずつ働き始める。
「姫さんでも知らないことはあるんだな」
「え? あぁ、うん」
意外そうに言うメルクに、私は頷いた。
このシーン、ゲームではざわめきの効果音が流れ、「人が中庭を埋め尽くしていた」とテキストに記されただけだった。視覚的な情報がなかったため、実際に目にする光景はインパクトが強かった。
(そっか。ついにチヨミ軍反撃のターンまで来ちゃったんだ……)
『Garnet Dance』で言うところの第八章。既に物語は終盤に差し掛かろうとしていた。
■□■
朝食後、チヨミが庭園にいると聞いた私は、そこへ向かった。
チヨミはベンチに腰掛け、ぼんやりと空を見上げていた。
「はぁ……」
ため息をついているチヨミの背後にそっと回り込み、私は彼女の目を両手で覆う。
「チ~ヨミッ♪」
「きゃあ! そ、ソウビ?」
「正解」
私は手を離し、振り返った彼女に笑いかける。
「チヨミ、隣座ってもいい?」
「うん、どうぞ」
私は彼女の隣へ腰を下ろす。
チヨミは浮かない表情のまま、かかとで地面を蹴っていた。
「……なんかすごいことになっちゃったね。イクティオからの避難民があんなに」
私が言うとチヨミは細く息を吐く。やがてぽつりと呟いた。
「みんなからヒナツを倒せって言われたの」
「……」
「無理だって言ったんだけどね。あの戦の神みたいなヒナツに、私なんかが敵うはずないって」
チヨミは空を仰ぎ、困ったように笑う。
「でも、かつて私の策で命を長らえた人たちがいてね。私に期待を寄せているみたいなんだ」
「そっか……」
知ってる。ゲームをしてた時は、私がその立場だったから。
序盤の戦いの最中、逃げ遅れた民を途中で発見して、何とか自分に敵の注意をひきつけて逃がしたんだよね。ゲーム内ではテクニカルなマップで、ちょっとミニゲーム要素のある戦闘だった。
あれに助けられた人が周囲に主人公の機転を語り、時間を経ることに人々の間に主人公への期待が高まってゆく。その結果が、今の状況だった。
「国の状況は、先日、父から聞いた通り。本当に、荒れてしまってる……」
チヨミは目を閉じ、額に手を当てると悲し気に眉根にしわを寄せる。
「ヒナツは国家予算をラニのわがままのため、ガンガン使ってしまってるの。公共事業や福祉なんかは削り放題。軍事費も削ってしまったから、今、武器や鎧もボロボロなんだって。その状態で民にドラゴンミルクを採りに行かせるから、怪我をしたり亡くなったりする人が続出してるとか……」
同じだ。原作ゲームでもそうだった。
国民から集めた税金を還元することなく、ヒナツはお小遣い感覚で使ってしまっているのだ。
(きっとラニのおねだりだけじゃなく、ヒナツ自身も積極的にラニへ大量のプレゼントをしてるんだろうな。私にそうしてたように……)
けれど民はそうは思わない。
愛妾がわがまま放題で、王はそれを甘やかし続けてると考える。結果、国中のヘイトは寵姫に集まるのだ。
初めてソウビになった夢を見た時の、あの逃走時の恐怖を思い出す。
自分はただ生きたかった。
望まぬ男に媚びを売り、趣味でないドレスに喜んで見せ、苦手な酒を口にした。
ドラゴンミルクでの入浴も、後ろ盾を失わぬための努力の一つ。美しさを保たねばヒナツに見捨てられてしまう、そんな恐怖が常に付きまとっていた。
全ては死にたくないがための必死の行動だった。
今、その気持ちはラニが味わっているのだろう。
「ヒナツと、戦いたくないなぁ……」
チヨミが顔を両手で覆い、深いため息をつく。
「凶悪だもんね、あの戦いぶりは。私も、出来ればあんなのと剣を交わしたくない」
ウツラフ村での彼の鬼神のごとき戦いぶりを思い出し、私はチヨミに同意する。ゲームでは「強いなぁ、固いなぁ」くらいにしか思わなかったヒナツだが、実際に戦う姿を見てしまうと、あれと刃を交わそうなんて考えるのは正気の沙汰じゃない。
「でもチヨミの策があれば、きっと大丈夫だよ! きっと勝てるって!」
そう、チヨミ単体では火力でヒナツに及ばない。けれど彼女は、知力で味方に指示を出し、戦場を制する有能キャラだ。『ガネダン』を一度クリアしている私は、チヨミがヒナツとの戦いに勝利することを知っている。だから絶対に大丈夫、そう無邪気に励ましたのだが。
チヨミの返答は意外なものだった。
「違うの、ソウビ。私がヒナツと戦いたくないのは、彼が恐ろしいからじゃない。……私ね、今もヒナツが好きなの」
「は?」