寵姫は正妃の庇護を求む
第3話 再び悪夢の中へ
気付けば私は、みすぼらしい服を着て、薄汚れた牢の中に立っていた。
「なんでまたソウビになってんのぉお!?」
絶叫しつつ頭をかきむしる。
汚れた壁の粗末な鏡の中に映るのは、背にかかる派手なローズピンクの髪を持つ一人の美女。化粧もしていないのに、透き通った肌に艶やかな唇。吊り気味のぱっちりと大きな目を縁取る長い睫毛に、印象的なアメジスト色の虹彩。
紛れもなく『ガネダン』の悪役、主人公の夫ヒナツをたぶらかし、国を傾けた毒婦ソウビ・アーヌルスその人だ。
(ソウビになってテンセイに殺される夢なんて、一度で充分だよ!!)
推しから侮蔑の眼差しで見降ろされながら、殺害されることが決定している人生など、二度も味わいたくない。
何より痛いのだ! グッサグサ刺されながら死ぬのは、めちゃくちゃ痛いのだ!
「チェンジー! チェンジ、チェンジ、チェンジー!!」
私は地団太を踏みつつ大声を上げる。以前、自分の笑い声で目が覚めたことがあった。こんな夢、あの時と同じように自力で抜け出してやる!
「とっとと目を覚まして、次こそは甘い夢をお願いしまーす!」
その時、背後から戸惑ったような愛らしい声が聞こえてきた。
「お、お姉さま? 突然どうなさったの?」
「!」
振り返った先には、ソウビの妹キャラ、ラニが立っていた。年は確か13歳。まだ幼さの残る顔立ちだが、ソウビによく似た美少女だ。ラベンダー色の長い髪をツインテールにまとめている。ソウビ――つまり今の私とお揃いの、みすぼらしいドレスを身に着けてはいるが、その愛らしさは全く損なわれていなかった。
ラニは不安げに小首をかしげ、私を見ている。
「な、なんでもないの、ラニ。おほほほほほほほほ」
心配するのも当然だ。この国の王女として華やかな生を受けながら、クーデター勃発で両親は処刑。私たち姉妹は、この垢じみたボロボロのベッドが唯一の家具という環境に投獄。そこへ姉が意味不明な奇声を発すれば、ついに心を病んでしまったかと怯えるのも無理はない。
(しかし、これだけ大声出してもだめか。あーっ、もうっ! 目を覚ませ、自分!)
夢から覚めない自分をもどかしく思いながら、私は現状を整理する。
まずここは牢獄。そして隣には妹のラニがいる。
ほぼ間違いなく、ソウビやラニの父である前王を倒した悪の宰相フリャーカが、つかの間の王位を満喫している頃だ。
となれば、今はまだ物語の序盤!
(ソウビとラニは確か、一週間ほどここに閉じ込められてたはず。今、何日目だろう)
冷静になるほどに、この牢に漂う異臭や壁の謎のシミ、床に転がるネズミのフンなどが気になってきた。
(ぎゃー、汚い! 早く、早くここから出たい! 一日だっていたくない!)
その時、私の心の声に応えるように、階上で大音声が轟いた。
(これは……!)
金属のぶつかるガシャガシャと重い音が、地下の通路に反響する。ラニがびくりと身をすくめ、顔色を変えて飛びついてきた。
「お、お姉さま! 大きな声、それにたくさんの足音が近づいてきます!」
双眸に涙をため、ラニは震えながら私を見上げる。
「ついにフリューカが、私たちを処刑しに来たのでしょうか!?」
「ううん、大丈夫」
私は確信を持って答える。このシーンなら、よく知っている。
「この足音はきっと……」
「ソウビ殿はここにおられるかー!!」
予想過たず、荒々しくも力強い声が、湿った空気を切り裂いた。
「忠臣ヒナツ、麗しの姫君をお救いに参った!!」
「ヒナツ! 私はここです!」
私は彼の声に迷わず応える。金属のぶつかり合うガチャガチャという音が早まったかと思うと、まもなく格子の向こうへ、燃えるような赤い髪の男が姿を現した。
「おぉ、ソウビ殿!」
精悍な顔立ちに、太陽のようにカラッとした笑顔を浮かべる、鎧姿の若い男。間違いない、これは簒奪王ヒナツとソウビの出会いのシーンだ。
ヒナツは乱暴に扉を蹴破ると、私の手を取り格子の外へと連れ出す。そして無遠慮に、私を抱き上げた。
(ぎゃあ、お姫様抱っこ!?)
「ははは、お美しゅうなられたなソウビ殿! 前にお目にかかった時は、まだまだいとけない少女でおられたが」
(ぐぅ……)
間近で見るヒナツの顔は文句なしにカッコいい。整った顔立ちに、いたずらっ子のような笑みを浮かべているのもずるい。恋や愛でなくとも、こんな薄汚い地下牢から救い出してくれる力強い英雄に、心惹かれるのは仕方ない。と言うか、ちょっと今ドキドキしてしまっている。
この後、この男がどうなるか知っているのに。
「奸臣フリャーカはすでに俺がこの手で討ち取った。安心召されよ、これからは俺がソウビ殿をお守りいたす!」
ヒナツは無邪気にはしゃぎながら、私を抱いたままぐるぐると回る。やめて、酔う。
(あ……!)
激しく揺れる視界の中、ヒナツの背後に立つ人影に気づいた。
(テンセイ、チヨミ……、それに他のみんなも!)
『GarnetDance』のメインキャラたちが、私たちを見守っていた。
「ひ、ヒナツ、下ろして!」
「ははは、まだよいではないですか!」
(よくないよ!!)
ヒナツの現在の妻であるチヨミが、この光景にムッとしていたのは知ってる。だってチヨミはプレイアブルキャラだったから。この時の三択だって覚えてる。
☆(今はソウビ様の無事を喜ぼう)
☆(面白くないな、でも我慢しよう)
☆ヒナツ、下ろしてさしあげて
そして今、無言でこちらを見ているチヨミは、明らかに「面白くないな、でも我慢しよう」の顔つきなのだ。それに何より……。
「……」
(テンセイも見てる! 無の表情で! 婚約者である私が、ヒナツに抱っこされているのを!)
こんなの絶対面白くないよね? 自分の婚約者が他の男に抱かれ振り回されているのだから。
ヒナツは私を抱いたまま、意気揚々と階段を上がる。そして陽の光の当たる場所まで来ると、私をそっと地面へ下ろした。そこにはヒナツと行動を共にした兵士や民たちが、大勢立ち並んでいた。
「ソウビ殿、お手を」
先程までとうってかわり、ヒナツは私の前へ跪くと表情を引き締め、恭しく私に手を差し出した。
「亡きお父上に代わり、このヒナツがソウビ殿の力となりますゆえ」
「……」
まだ戦いの余韻のむっとした熱気が、辺りを満たしている。この後の展開を知る者として、あまりヒナツにいい顔はしたくない。けれどここで彼を無視するのははばかられた。
「ありがとう、ヒナツ。その忠心に心からの感謝を」
私は彼と手を重ねる。その瞬間、わっと歓声が上がった。
原作ゲームでは、ここからソウビのヒナツへの依存が始まる。いつ処刑されてもおかしくない、暗く汚い地下牢での一週間が、彼女の心を蝕んだ。
殺されたくない、強い者に守られ安心できる生活を送りたい。その一心で、ソウビはヒナツの歓心を得ようとあらゆる手を講じ始める。振り回されるのを好むヒナツの気を引こうと、わざと気まぐれでわがままな言動を繰り返したり……。
だがその結果、ソウビは傾国として民の怒りを買い、ヒナツともども殺害されることになるのだ。
(これはその悲劇の始まりの瞬間だ……)
力強く微笑み、私の手を取るヒナツの姿。
輝くような笑顔で、ヒナツを称える民たちの姿。
彼らは知らない。やがて自分たちがヒナツを「簒奪王」と罵るようになり、彼を称賛した同じ口から、呪いの言葉を吐くようになるのを。
(死にたくない、二度とテンセイに殺されたくない……)
昨夜の夢で、私の胸を貫いた剣の痛みを思い出す。私を見下ろす、テンセイの冷たい眼差しも。
(私が味方につけるべきはヒナツじゃない。『ガネダン』の主役、チヨミだ……!!)
「なんでまたソウビになってんのぉお!?」
絶叫しつつ頭をかきむしる。
汚れた壁の粗末な鏡の中に映るのは、背にかかる派手なローズピンクの髪を持つ一人の美女。化粧もしていないのに、透き通った肌に艶やかな唇。吊り気味のぱっちりと大きな目を縁取る長い睫毛に、印象的なアメジスト色の虹彩。
紛れもなく『ガネダン』の悪役、主人公の夫ヒナツをたぶらかし、国を傾けた毒婦ソウビ・アーヌルスその人だ。
(ソウビになってテンセイに殺される夢なんて、一度で充分だよ!!)
推しから侮蔑の眼差しで見降ろされながら、殺害されることが決定している人生など、二度も味わいたくない。
何より痛いのだ! グッサグサ刺されながら死ぬのは、めちゃくちゃ痛いのだ!
「チェンジー! チェンジ、チェンジ、チェンジー!!」
私は地団太を踏みつつ大声を上げる。以前、自分の笑い声で目が覚めたことがあった。こんな夢、あの時と同じように自力で抜け出してやる!
「とっとと目を覚まして、次こそは甘い夢をお願いしまーす!」
その時、背後から戸惑ったような愛らしい声が聞こえてきた。
「お、お姉さま? 突然どうなさったの?」
「!」
振り返った先には、ソウビの妹キャラ、ラニが立っていた。年は確か13歳。まだ幼さの残る顔立ちだが、ソウビによく似た美少女だ。ラベンダー色の長い髪をツインテールにまとめている。ソウビ――つまり今の私とお揃いの、みすぼらしいドレスを身に着けてはいるが、その愛らしさは全く損なわれていなかった。
ラニは不安げに小首をかしげ、私を見ている。
「な、なんでもないの、ラニ。おほほほほほほほほ」
心配するのも当然だ。この国の王女として華やかな生を受けながら、クーデター勃発で両親は処刑。私たち姉妹は、この垢じみたボロボロのベッドが唯一の家具という環境に投獄。そこへ姉が意味不明な奇声を発すれば、ついに心を病んでしまったかと怯えるのも無理はない。
(しかし、これだけ大声出してもだめか。あーっ、もうっ! 目を覚ませ、自分!)
夢から覚めない自分をもどかしく思いながら、私は現状を整理する。
まずここは牢獄。そして隣には妹のラニがいる。
ほぼ間違いなく、ソウビやラニの父である前王を倒した悪の宰相フリャーカが、つかの間の王位を満喫している頃だ。
となれば、今はまだ物語の序盤!
(ソウビとラニは確か、一週間ほどここに閉じ込められてたはず。今、何日目だろう)
冷静になるほどに、この牢に漂う異臭や壁の謎のシミ、床に転がるネズミのフンなどが気になってきた。
(ぎゃー、汚い! 早く、早くここから出たい! 一日だっていたくない!)
その時、私の心の声に応えるように、階上で大音声が轟いた。
(これは……!)
金属のぶつかるガシャガシャと重い音が、地下の通路に反響する。ラニがびくりと身をすくめ、顔色を変えて飛びついてきた。
「お、お姉さま! 大きな声、それにたくさんの足音が近づいてきます!」
双眸に涙をため、ラニは震えながら私を見上げる。
「ついにフリューカが、私たちを処刑しに来たのでしょうか!?」
「ううん、大丈夫」
私は確信を持って答える。このシーンなら、よく知っている。
「この足音はきっと……」
「ソウビ殿はここにおられるかー!!」
予想過たず、荒々しくも力強い声が、湿った空気を切り裂いた。
「忠臣ヒナツ、麗しの姫君をお救いに参った!!」
「ヒナツ! 私はここです!」
私は彼の声に迷わず応える。金属のぶつかり合うガチャガチャという音が早まったかと思うと、まもなく格子の向こうへ、燃えるような赤い髪の男が姿を現した。
「おぉ、ソウビ殿!」
精悍な顔立ちに、太陽のようにカラッとした笑顔を浮かべる、鎧姿の若い男。間違いない、これは簒奪王ヒナツとソウビの出会いのシーンだ。
ヒナツは乱暴に扉を蹴破ると、私の手を取り格子の外へと連れ出す。そして無遠慮に、私を抱き上げた。
(ぎゃあ、お姫様抱っこ!?)
「ははは、お美しゅうなられたなソウビ殿! 前にお目にかかった時は、まだまだいとけない少女でおられたが」
(ぐぅ……)
間近で見るヒナツの顔は文句なしにカッコいい。整った顔立ちに、いたずらっ子のような笑みを浮かべているのもずるい。恋や愛でなくとも、こんな薄汚い地下牢から救い出してくれる力強い英雄に、心惹かれるのは仕方ない。と言うか、ちょっと今ドキドキしてしまっている。
この後、この男がどうなるか知っているのに。
「奸臣フリャーカはすでに俺がこの手で討ち取った。安心召されよ、これからは俺がソウビ殿をお守りいたす!」
ヒナツは無邪気にはしゃぎながら、私を抱いたままぐるぐると回る。やめて、酔う。
(あ……!)
激しく揺れる視界の中、ヒナツの背後に立つ人影に気づいた。
(テンセイ、チヨミ……、それに他のみんなも!)
『GarnetDance』のメインキャラたちが、私たちを見守っていた。
「ひ、ヒナツ、下ろして!」
「ははは、まだよいではないですか!」
(よくないよ!!)
ヒナツの現在の妻であるチヨミが、この光景にムッとしていたのは知ってる。だってチヨミはプレイアブルキャラだったから。この時の三択だって覚えてる。
☆(今はソウビ様の無事を喜ぼう)
☆(面白くないな、でも我慢しよう)
☆ヒナツ、下ろしてさしあげて
そして今、無言でこちらを見ているチヨミは、明らかに「面白くないな、でも我慢しよう」の顔つきなのだ。それに何より……。
「……」
(テンセイも見てる! 無の表情で! 婚約者である私が、ヒナツに抱っこされているのを!)
こんなの絶対面白くないよね? 自分の婚約者が他の男に抱かれ振り回されているのだから。
ヒナツは私を抱いたまま、意気揚々と階段を上がる。そして陽の光の当たる場所まで来ると、私をそっと地面へ下ろした。そこにはヒナツと行動を共にした兵士や民たちが、大勢立ち並んでいた。
「ソウビ殿、お手を」
先程までとうってかわり、ヒナツは私の前へ跪くと表情を引き締め、恭しく私に手を差し出した。
「亡きお父上に代わり、このヒナツがソウビ殿の力となりますゆえ」
「……」
まだ戦いの余韻のむっとした熱気が、辺りを満たしている。この後の展開を知る者として、あまりヒナツにいい顔はしたくない。けれどここで彼を無視するのははばかられた。
「ありがとう、ヒナツ。その忠心に心からの感謝を」
私は彼と手を重ねる。その瞬間、わっと歓声が上がった。
原作ゲームでは、ここからソウビのヒナツへの依存が始まる。いつ処刑されてもおかしくない、暗く汚い地下牢での一週間が、彼女の心を蝕んだ。
殺されたくない、強い者に守られ安心できる生活を送りたい。その一心で、ソウビはヒナツの歓心を得ようとあらゆる手を講じ始める。振り回されるのを好むヒナツの気を引こうと、わざと気まぐれでわがままな言動を繰り返したり……。
だがその結果、ソウビは傾国として民の怒りを買い、ヒナツともども殺害されることになるのだ。
(これはその悲劇の始まりの瞬間だ……)
力強く微笑み、私の手を取るヒナツの姿。
輝くような笑顔で、ヒナツを称える民たちの姿。
彼らは知らない。やがて自分たちがヒナツを「簒奪王」と罵るようになり、彼を称賛した同じ口から、呪いの言葉を吐くようになるのを。
(死にたくない、二度とテンセイに殺されたくない……)
昨夜の夢で、私の胸を貫いた剣の痛みを思い出す。私を見下ろす、テンセイの冷たい眼差しも。
(私が味方につけるべきはヒナツじゃない。『ガネダン』の主役、チヨミだ……!!)