寵姫は正妃の庇護を求む

第30話 イクティオへの帰還

 書斎に茜色の陽が射す頃、ユーヅツは魔導書を閉じた。
「この辺にしておこうか、ソウビ。お疲れ様」
「ご、ご指導ありがとう、ございました……」

 精魂尽き果てるとはこういうのを言うのだろう。
(五科目の教科書をそれぞれ暗唱させられた感じだ……)
 ぐったりと突っ伏していると、優しく頭に何かが触れた。
「んぁ?」
 反射的に頭を上げる。ユーヅツは手を振りながら、扉へ向かおうとしていた。
「魔導書、片づけておいてね」
「うぃす」
 ユーヅツの指先が触れたらしいところへ、私も手をやる。
(今、ユーヅツ、頭撫でたよね?)
「ソウビ」
「何?」
「自分に出来ることをしようと限界まで努力する姿、ボクはとても好ましいと思うよ」
「お、おぅ?」
 ユーヅツの姿が扉の向こうへと消える。
(すごい。さすが乙女ゲーの攻略キャラ、さりげなく決めていく)
 原作ゲームではまだこんなシーンを見ていないので、少し驚いた。
 ひょっとすると、ユーヅツを攻略するとチヨミが魔法を覚える展開があるのだろうか。
「さてと」
 私は目の前に積みあがった魔導書に目を向ける。
(片づけてって言われたけど。持ち帰って、部屋でも覚えようかな)
 崩さぬよう気を配りながら魔導書タワーを抱え上げ、自室へ引き上げようとした時だった。
 目の前で扉が開き、テンセイが顔を出した。
「ソウビ殿」
「わ、テンセイ、ナイスタイミング。両手ふさがってたから助かった」
「自分が持ちましょう」
 返事をする前に、私が抱えていた魔導書は全てテンセイに奪われる。
「え? 悪いよ、そんなの。私も半分持つよ?」
「軽いものです。それにユーヅツに頼まれましたので」
「ユーヅツに?」
「はい。もしも貴女が魔導書を自室に持ち帰ろうとしていたら、運んでやってほしいと言われました」
(なんと!?)
 ユーヅツに色々見抜かれていることに驚く。
(おっとりしてるように見えるのにな)
 テンセイルートを攻略しただけでは知ることのなかった彼らの別の顔。それがここに来て色々見えてきた気がした。

■□■

 数日が経った。
 メルクの離宮の前庭にはイクティオからの避難民が集まっている。
 そこへ姿を現したのは、戦闘スタイルの服を身に着けたチヨミだった。
 ちなみに私も、魔導士らしい白い装束をあつらえてもらっている。
 チヨミはぐるりと皆の顔を見回し、口を開いた。

「皆さん、傷は癒えましたか? 疲れの出ている人はいませんか?」

 助けを求めてチヨミの元へ集った民に、彼女は穏やかに、そして凛々しい声で語りかける。

「これより我々は、イクティオへと向かいます。目的地は東の離宮。本来私の居住地となる筈だった場所です」

 風がさらりとチヨミの前髪を揺らす。

「東の離宮に入るにあたって、それほどの抵抗はないでしょう。まずはあの地を拠点とすべく進軍します。ですが、我々の動きに気づいた時、王の側に何らかのリアクションがあるかもしれません。油断は禁物です」

 チヨミは腰から剣を抜き、高々と掲げる。陽の光が刃に当たり、キラリと輝いた。その姿はまるで、天から祝福を与えられたかのように神々しかった。

「行きましょう、皆さん! 安心して暮らせる場所を取り戻すために!」

 彼女の言葉が終わるや否や、割れんばかりの拍手と歓声が沸き起こる。チヨミの名を讃える群衆に、彼女は力強く微笑み、手を振った。
(頑張ろうね、チヨミ)
 私は心の中でそっと語り掛ける。
 ここに集う人たちの願いは、まず間違いなく「ヒナツを倒してくれ」だ。
 それを理解しつつ、チヨミは彼らを安心させるために微笑んで見せている。
 本当はヒナツを非難する言葉など、耳にするだけでつらいだろうに。
(チヨミの好きな人を救うため、そしてラニを傾国の役割から解放するため、頑張ろうね!)

■□■

 チヨミの言ったとおり、東の離宮へは特に問題なく入ることが出来た。
 使用人たちは初め、大勢の民を引き連れて入ってきた私たちにぎょっとなっていたが、チヨミやアルボル卿の姿を見て受け入れてくれた。
 屋根のある場所で民を休ませ、食事を振舞う。人々の顔に安堵の笑みが戻ったのを確認し、私たちは割り当てられた部屋へと引き上げた。

■□■

「ふぅ……」
 私は城壁の上へ出て、夜空を眺めていた。降り注ぐような満天の星空、これは元の世界ではお目にかかることのできない光景だった。

 今日は運よく、ヒノタテからイクティオの東の離宮まで移動しただけに終わった。けれど、いつ襲撃されてもおかしくないという緊張が続いたため、気疲れはかなりのものだった。

(あー、ゲームしたい)
 上水流めぐりとしての生活が、ふと恋しくなる。
(ゲーム機でもスマホでもいい。ベッドに寝っ転がってポチポチやりたい……。ゲームの夢を見ながらゲームしたいって思うのも、どうかと思うけど)

 ふと城壁に触れ、そのひやりと武骨な手触りに少し驚く。
(あ、ここ! よく見ればイベントで見た場所だ!)
 チヨミ主人公でプレイしていた時に、恋愛イベントの三段階目が起きた場所だと記憶している。色合いや形からして、間違いはなかった。

(あぁああ、今すぐゲーム起動して、思い出モードが見たい! 一日のご褒美に、テンセイとの恋愛イベントを全部まとめて見たい!)
 ルートクリア後も、何度か再生して聞いたテンセイの告白セリフ。
 目を閉じればBGMやボイスが耳の奥に蘇る。

―― 自分は貴女のことを愛しております。
 初めて出会った
 あの日より変わらず……――

(んふふふ~。何度も聞いたから、脳内でボイス再生余裕~)

 勝手に笑ってしまう顔半分を手で覆いつつ、にへにへと笑っていた時だった。
(……あれ?)
 心にひやりと氷が差し込む。
『GarnetDance』の主人公はチヨミだ。当然、テンセイのこの言葉を受け取ったのはチヨミということになる。
(ちょっと待って? 『初めて出会ったあの日より変わらず』……)
 ごくりと唾を飲む。
(『愛してます』ぅうう!?)

 このセリフだと、テンセイ加入イベントからずっと、彼はチヨミのことを愛してたと言うことになる。

(ちょっと待って、ちょっと待って!? 今のテンセイの気持ちはどうなの!?)
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