寵姫は正妃の庇護を求む

第31話 愛の形

 心に差し込んだ氷が、スゥッと全身を冷やす。
(い、いやいや! この夢を見始めてから何度もテンセイとは甘い雰囲気になったよね? 愛してる、みたいな言葉も聞いたよね? あれ? でも、あれぇ……)

 打ち消しても打ち消しても、どんどんと不安が胸に迫ってくる。

(まさか今、チヨミと恋愛イベント第三段階が起きてたりしない?)
 私は辺りを見回す。第三段階イベントは城壁の上、つまりここだった。だが、このエリアは案外広い。ここから見えていない塔の反対側に二人がいたりはしないだろうか。
(ないよね? テンセイの様子を確認しに行こうかな?)
 彼が一人でいるのをこの目で確かめれば、こんな不安消えてなくなってしまう。簡単なことだ。
(でももしテンセイが、チヨミといい雰囲気になってるところを目撃してしまったら……)
 そう思うと、足がそこから動かない。
(このルートのチヨミはヒナツとの和解に向かってる。攻略対象はヒナツのはず)
 筋道立てて考えれば、こんな妄想は杞憂に過ぎないという結論に至るのだが。
(だけど、私とラニが入れ替わってるだけで、物語に大きな変更は起こってない……)
 不安で喉がカラカラになる。
(チヨミにとっての一番がヒナツでも、テンセイにとって一番好意を抱いてる相手は、やっぱりチヨミのままって可能性は……)
 胸に手を当て、何度も深呼吸する。
(テンセイに限って二股なんてことはないだろうけど。出会った時に既にチヨミに対して愛情を抱いていて、それがまだひそかに心の奥に残っていたら)
 物語でもよくある。本命が自分を想っていないことを知り、忘れようと別の人間との恋を選択するが、最終的に本当に愛している相手が誰なのか思い知り、かりそめの恋の相手に別れを告げる。そんな展開が。
(そしてその場合、かりそめの恋の相手が私と言う可能性も……)
 涙がジワッと浮かんでくる。
(もうやだ。怖くなってきたから部屋で休もう)
 そんな展開がこの先待っていたら、そう考えるだけで耐えられない。
(布団をかぶって、何も考えず眠ってしまおう……)

 きびすを返し、部屋へ引き上げようとした時だった。
 柔らかな壁に正面衝突した。
「んぎゃ!?」
「っと、ソウビ殿」
「テンセイ!?」
 私が鼻先をぶつけたのは、テンセイの広い胸だった。
「敷地内を見回っておりましたら、ソウビ殿がこちらにおられるのが見えましたので、自分も上がってまいりました」
 テンセイは微笑み、そして私と目が合うと怪訝な表情となる。
「ソウビ殿?」
「……」
 テンセイの大きな手が私の頬に触れる。その熱い指が、グイと私の目じりをぬぐった。
 指を見た後、テンセイは私の顔に視線を移す。
「ソウビ殿、泣いておられたのですか?」
「……」
「誰かに嫌なことでも言われましたか? もしや、ラニ殿の姉である貴女に対し心無い言葉をぶつける不届き者でも?」
「違うよ」
 私はテンセイの胸に頭を預ける。
「ソウビ殿?」
「テンセイ、今までどこにいたの?」
「は、敷地内を見回っておりました」
「一人で?」
「は。初めに見回りの志願者を募った際には分担を決めるため彼らとおりましたが」
「……チヨミとは一緒じゃなかった?」
「いえ、割り当てられた部屋に引き上げてからは顔を合わせておりません。なぜそのようなことを?」
 不思議そうに首をかしげるテンセイに、私は覚悟を決めて問うた。
「テンセイは、チヨミのこと好きだったんでしょ?」
「は!?」
 テンセイが目を大きく見開き、口をぽかんと開けた。
 だけど、私の記憶の中の『チヨミに告白したテンセイ』が、どうしても胸を締め付ける。
「チヨミと初めて会った時、彼女の策で命を救われた日、チヨミに好意を持ったでしょ? だから、今もチヨミと会ってたんじゃないかって、私……」
「お待ちください、ソウビ殿! もしや、自分の二心を疑っておいでなのでしょうか?」
「……」
「俺がチヨミ殿を好きなどと、一体誰が……!」
 テンセイは慌てたように声を荒げる。けれど私がじっと見つめているうち、彼のトーンはだんだんと落ちて行った。やがて観念したように、テンセイは眉根にしわを寄せ、苦し気に口を開く。
「……そうでしたね。貴女は様々なことを見通す力をお持ちの方だった。隠しても無駄なのでしょう」
「!」
(やっぱり……!)

 衝動的にその場から駆け去ろうとした私は、テンセイの逞しい腕に強引に絡めとられる。そして私が何か言う前に、彼は叫んだ。
「誤解なさらないでください、ソウビ殿! 自分は確かにチヨミ殿に好意を抱いておりました。それは否定いたしません! ですがそれは、敬愛もしくは信愛といったもの!!」
「敬愛……、信愛……」
「その通りでございます」
 テンセイの金色の目は、怒っているかのように光を放っていた。戦場で見た、敵を睨み据えた時の眼差しに似ていて、思わずびくりと身をすくめる。私の反応で察したのか、テンセイは私を縛める腕をわずかに緩め、声を落とした。
「以前、自分たちの軍が敵に囲まれ、危うく全滅と言う時に、我々を救ってくれたのがチヨミ殿の策でした」
 テンセイの声は普段通りの穏やかなものへと戻る。
「驚きました。生粋の武人である我々に思いつけなかった奇策が、年若い娘の口から出てきたのですから。戦場に立つ者として、畏敬の念を抱きました。それ以来チヨミ殿に一目置いております」
 そう言ってテンセイは一呼吸置き、付け足した。
「共に戦う仲間として」
(知ってる)
 私の胸はまだヒリヒリと痛んでいる。
(その流れは知ってるんだ。テンセイルート攻略したから。でも……)
「その、つまりですな……」
 テンセイは頬を染め、言いづらそうにしていたが、やがて覚悟を決めたように言葉を放つ。
「自分が女性として意識しているのはソウビ殿、貴女だけなんです!」
「……」

 ここまで言われて嬉しくないわけがない。彼を信じないわけじゃない。けれど私の強欲な魂は、まだ満足できなかった。
「やっぱりチヨミが羨ましいな」
 頭の中に、好感度の円グラフが浮かぶ。テンセイの心は200%私で満たしていたいのに、きっと数%はチヨミに振り分けられている。そう思うと苦しかった。チヨミは自分の分身でもある、そう考えようとしても切なさは消えなかった。
「テンセイに信頼してもらえるチヨミが羨ましい。私は、戦場では役立たずだから……」
「ソウビ殿」
 テンセイが困っている。心を尽くし言葉を尽くして、それでも私に安心を与えられない自分を不甲斐なく思っているのだろう。彼はそう言う人だ。
「変なこと言っちゃってごめんね。私、もう部屋に戻る」
 きっと一晩経てば気持ちの整理もつくだろう。そう思い私は立ち去ろうとしたのだが。
「お待ちください!」
「っ!」
 背中から、ぎゅっと強く抱きしめられる。痛いほどに力強く。肺から空気が押し出されるほどに。
「ソウビ殿、そんな悲しい顔の貴女を部屋に返すわけにはまいりません」
 テンセイの腕に、さらに力がこもる。
「これだけは知っておいてください。自分にとって、伴侶として生涯を共にしたいと願う女性はただ一人、ソウビ殿、貴女だけです」
「!」
 切なく掠れた低く甘い声が、耳朶をなぶる。
「ソウビ殿、我々はこれより王に反旗を翻す身。明日をも知れぬ命でございます。だからこそ、わだかまりを抱えたままにしておきたくない」
(あ……!)
「何度でも申し上げます。自分にとって最も愛しい人は、ソウビ殿、貴女です。もしも貴女とチヨミ殿が同じ危機に陥ったなら、自分は迷わず貴女を助けるでしょう。時代を変える傑物かもしれないチヨミ殿を後回しにしてでも……!」
「それは……、だめだよ。そんなことしたら」
 国が、物語が。
「わかっております、頭では。それでも、俺は貴女を選ぶ!」
 テンセイの嘘偽りのない、まっすぐな言葉。彼だから信じられる。
 テンセイの低い声は、いつしか私の心から不安を完全に拭い去っていた。
「テンセイ、やっちゃだめなことだよ、それは騎士として」

 私の体を縛める逞しい腕に、私はトントンと軽く触れる。それに応えるように、腕の力は緩められた。
 私は体を反転させ、テンセイへ向き直る。
「ありがとう、もう大丈夫。ごめんね、テンセイの心を疑うようなこと言って」
「ソウビ殿」
 テンセイがほっとしたように表情を緩めた。それはひどく子どもっぽく見え、愛しさが胸に募った。
「国の未来よりも私を選ぶなんて言っちゃう人、これ以上追いつめて実行に移されると困るもの。大丈夫、テンセイの気持ちは十分伝わったから。何よりも私を大切に思ってくれているの、わかったから」
 私は彼の熱い胸に手を添え、まっすぐに彼を見て微笑む。
「私も、テンセイが好き」
「ソウビ殿……」
 ごく当たり前のように、私たちは顔を寄せ唇を重ねた。
 頭の奥が真っ白に染まるほどの多幸感。
 同時に心に湧き上がる、「明日をも知れぬ命」という言葉の重さ。
 互いを失うまいと、私たちは愛しい温もりにきつく腕を絡める。

(部屋に戻ったら、頑張って覚えよう……)
 部屋に積み上げた魔導書を私は思い出していた。
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