寵姫は正妃の庇護を求む

第36話 めぐり

「あと、この世界が君の見ている夢って話だけど」
 話すユーヅツに、私は目を向ける。
「夢とは、魂が異世界で過ごした際の出来事って説もあるんだよ」
「魂が、異世界に?」
 初耳だ。いや、もしかして「胡蝶之夢(こちょうのゆめ)」とかあの辺もそうなのだろうか。
 ユーツヅはさらに続ける。
「その説が正しいなら、メグリって人の魂は寝ている間、ここでソウビとして生きているってことになる。ついでに創作や夢、つまり架空の世界と思われているものは、実在している異世界の可能性もあるとボクは考えてる」
「ぇえ……」
 何と言うか、滅茶苦茶だ。
 だが、私の気持ちを察してか、ユーヅツはあっけらかんと言う。
「証明のしようがないからね。噓とも本当とも言えないでしょ? 想像は自由」
「そうだけど……」
(この、私が夢に見ている世界が実在している他の世界? そして、私の元の世界も誰かの創作物? あ~っ、何が何だか!)

「あ! そうそう」
 頭を抱える私に、チヨミが話しかけてくる。
「ソウビの本当の名前はメグリなんだよね? 今後はそっちで呼ぶ方がいい?」
「えっ、ううん、ソウビのままで。ここではそう呼ばれる方がしっくりくるから」
「わかった。じゃあソウビのままね」
 オフ会では本名ではなく、ハンドルネームで呼び合う。その感覚に近いかもしれない。
「ソウビが別世界の人間の意識を持ってるなんて驚いたけど、掴んでる情報を元に、私たちを困らせたことなんてなかったもんね。味方だってことは疑わなくていいんじゃないかな?」
 その言葉にタイサイが顔をしかめる。
「いや、俺は知られたくないことまで知られてたけど」
「枕の下?」
「言うな!」
 そっちから振ったくせに、キレないでほしい。今のはどう考えてもツッコミ待ちだった。

■□■

(今日は色々あって、疲れたなぁ……)
 砦の中の割り当てられた部屋で、初めての夜を迎える。
 大移動して、戦闘があって、説明があって、心身ともに疲労困憊だった。
 ベッドに身を預けると、すぐさま睡魔が襲い掛かってくる。
(ねむ……)
 そのまま白む意識の中へ飲み込まれようとした時だった。
 コンコン
 ノックの音が聞こえた気がした。
(ん? 誰?)
 身を起こして対応したい。けれど指一本動かすのすら億劫なほど、私の体は疲れ切っていた。
(あ、だめだ。瞼がもうくっつき……)

『ソウビ殿、入ってもよろしいでしょうか?』
「!?」
 この世で最も尊く愛しい、低く甘い声に、一瞬にして意識は呼び戻される。
(テンセイ!? 夜這いイベント!? いや、そんなのなかったはず! このゲームはCERO Bだったし!)
 勢いよく働きだした意識は、おかしな方向に猛スピードで飛んでいく。
 再びノックの音が耳に届いた。
『ソウビ殿? もうお休みでしょうか?』
「は、はーい! 起きてまーす! どうぞ!」
 ベッドに身を起こし慌てて返事をすると、すぐに扉は開かれた。
「ソウビ殿、夜分遅く失礼いたします」
「ううん、テンセイなら歓迎。何かあった?」
「……」
 テンセイは部屋に入ると、扉の前で立ち尽くす。何やら逡巡しているようだった。
 こちらを見たかと思えば、そっと視線を逸らし、何か考え込む仕草をしたかと思うと、またこちらに視線を向ける。
 やがて彼は、覚悟を決めたのか口を開いた。
「いつから、なのでしょうか?」
「? いつから、とは?」
 テンセイの顔が苦し気に歪む。
「メグリ殿、とおっしゃいましたか。あなたがソウビ殿としてこの世に降臨したのがいつからなのか、それをお聞きしたい」
(あ……)
 スッと頭の奥が凍り付いた。
(そっか、テンセイにとってソウビは婚約者。私は途中からその地位を乗っ取ったようなものだ)
 頭から喉元へ、私の体からはどんどんとぬくもりが去ってゆく。
(気分、よくないよね。見知らぬ他人が、自分の婚約者のふりをして側にいたなんて。気付かれてないのをいいことに、馴れ馴れしくしていたなんて……)
「ひょっとしたら、ですが」
 テンセイの金色の眼が、私を見据える。暗がりの中、月の光を返すその瞳は猛獣のもののようだった。
「今の貴女となったのは、ヒナツが王位についたことを祝った宴の日ではございませんか?」
「! あ、あの……、ごめん、騙すつもりじゃ……」
「やはり、そうなのですね」
 テンセイが手で目元を覆い、ため息をつく。金の瞳が見えなくなった瞬間、「終わった」そう感じた。
 テンセイは手を下ろすと、みしりみしりと足音を立てながら近づいてきた。私はびくりと身をすくめ、自分の膝へ目を落とす。やがて頭上から、低く静かな声が届いた。
「あの日、貴女を部屋まで迎えに行った際に違和感を覚えたのです。ソウビ殿とはこのように可愛らしい表情をする方だったかと」
(え……?)
 テンセイの口から発せられた、思いがけぬ柔らかい言葉。けれど私はまだ目を上げられない。
「前王の命により婚約者となって以来、自分とソウビ殿はろくに会話らしい会話をしておりませんでした。自分は面白い話などできぬ男で、そんな自分といるソウビ殿はいつも退屈そうにされておりました」
 テンセイの足が視界に入る位置まで来る。
「あの頃の自分たちの間に、愛情と呼べるものはまるでなかったと言っても過言ではないでしょう。立場や利害最優先の形だけの繫がりでした。……よくある話です」
 テンセイが私のベッドに腰かける。マットの沈む感覚があった。
「ですが、あの夜のソウビ殿は違ったのです。こちらを見た瞬間に目を輝かせ、頬を染め、嬉しそうに微笑まれました。妙なことを口走ってはおられましたが、自分に対する温かな好意が伝わってきたのです」
 大きく熱い指先が私の顎に触れ、軽く持ち上げる。見上げた先のテンセイの眼差しは、はちみつ色に揺れていた。
「あの日から、貴女だったのではないですか?」
 罪の意識に凍り付いていた私の体が、テンセイの熱で優しく溶かされる。
「……、そんなところ」
 その瞳の優しさに誘われるように、私は告白をする。
「正確には、牢から助け出された時。気付いたら私はあの場所にいたんだ」

「そうでしたか。では」
 テンセイが一度睫毛を伏せ、そして目を開くと私をまっすぐに見る。
「自分が心惹かれたのはソウビ殿ではなく、メグリ殿だったのですね……」
「!」
 心臓が止まるかと思った。真摯な金色の眼差しが私を貫く。
(テンセイが私を……? 婚約者のソウビじゃなく、上水流めぐりとしての私を?)
 引き絞った弓が勢いよく矢を放つように、一度凍り付いた私の胸が早鐘を打ち始める。
 私はこの世で最も愛しい人に愛されている。そう思うだけで気絶しそうなほどの幸福を感じていた。
 けれどテンセイの瞳からはまだ、切なさが消えない。
「テンセイ?」
「教えてください、ソウビ殿。貴女はいつまでここにいられるのでしょうか」
「えっ……」
「この命尽きるまで、自分は貴女に寄り添っていられるのでしょうか……」
 言われて初めて気づく。
 この世界へ訪れたのが突然なら、去るのも突然である可能性は十分にあるのだ。
「わからない……」
 私は掛布団を握りしめる。テンセイの真剣な眼差しが、私の胸を苛む。
「わからないよ。私だってずっとテンセイといたいけど、でも……」
 肝心な部分を思い出した。
「これは、私の見ている夢だから……。いつ覚めるか、私にもわからない」
 そう、夢はいつだっていいところで終わる。
「それに物語は終盤に向かってる。ひょっとすると物語のクリアと共にこの夢は……」
「……っ」

 テンセイの力強い腕が伸びて来たかと思うと、私をきつくかき抱く。グッと押しつぶされた肺から息が漏れる。
「儚いお方だ。今にも、この腕の中から消えてしまいそうだ。俺は、それが怖い……!」
 魂を切り刻むほどの悲痛な声。
「魂の捕らえ方など俺は知らない。こうして手に触れられる相手であるなら、無理やりにでもつかまえていられるものを……!」
 私を抱きしめる腕に、更に力がこもる。
「愛している、ソウビ。いや、メグリ。俺から離れないでくれ」
(テンセイ……!)
「貴女でなければだめなのだ!」

 胸が焼け付くように痛む。
 幸せなのに苦しい。
 気が付けば、涙が頬を濡らしていた。

 私は腕を彼の広い背へと回す。
「私だって、このままテンセイと一緒にいたいよ……。だけどわからないんだ、本当に。自分がこの先どうなるのか……」
「……っ」
 テンセイの大きな手が私の後頭部を包む。それは震えながら、幾度もそこを撫で下ろした。
「メグリ……、メグリ……、メグリ……!」

 上ずって掠れた、切なく甘い声。
 それが幾度も私の名を呼ぶ。
 私の髪を、愛し気に指で漉きながら。

 テンセイの声が耳に届くたび私の体から力が抜け、こわばりがとけてゆく。
「どんな形でもいい。貴女と同じ世界で寄り添えるなら……、俺は、何を捨てても構わない!!」
(あぁ、私はなんて幸せ者なんだろう……)
 狂おしいほどに切ない、テンセイのふり絞るような声を聞きながら、私は思う。
(推しの姿を、ただ近くで見られるだけでよかった。声が聴けるだけで幸せだった。なのに、こんなに愛してもらえた……)
 それぞれの涙が、互いの体を濡らす。
(もう悔いはない。でも……、だけど……)
 私も彼を離すまいと、背に回した指に力を込めた。
(やっぱり、テンセイとずっと一緒にいられたら幸せだろうな……)
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