寵姫は正妃の庇護を求む

第6話 ソウビの役目

 ヒナツを邪険(じゃけん)にし続けたため、祝宴の場の空気が凍り付いていた。
 ヒナツも形ばかりに口端を上げているが、目は笑っていない。その場に集う客たちは、ある者は機嫌を伺うように彼を盗み見、またある者は気まずげに私たちから目を逸らしていた。攻略キャラの3人も、息をつめてこちらを凝視している。
(さすがに、今日の宴の主役を粗末に扱い過ぎたか……)
 背すじがヒュッと寒くなる。ヒナツの寵姫(ちょうき)となり民衆に殺される運命を避けたいがための行動だったが、これではそこに行きつく前にヒナツの手で処刑されるかもしれない。
「あー、えぇと……」
 ここはなんとか取り繕わなくてはならない。フルーツを口に入れてあげようか。今からでもバラ園に誘うべきか。

 だが。
「ふっ……、クク……」
(え?)
「ふぁーっはっはっは!!」
(大笑い!?)
 凍り付いた宴席の空気を、ヒナツの豪快な笑い声が焼き払った。
「さすがは前王の娘! その気位の高さがたまらんなぁ!!」
(ぇえ!?)
 ヒナツは腰に手を当て仁王立ちとなり、肩を揺らして笑っている。
「いいぞいいぞ! ここのところ、俺の周りには媚びを売る女ばかりで飽きあきしていた。その蔑むような眼差し、実に心地よい! 氷のごとき舌先にはそそられる! さすがは生まれながらの姫君よ!!」
(ドMか!?)
「成り上がり者に向ける笑みなど持ち合わせておらんというわけか。ククク」
 ヒナツの獣のようにギラつく目が私を捕らえた。
「だがな……」
 幾百もの敵を薙ぎ払って来た戦人(いくさびと)の腕が、私の腰を乱暴にさらう。
 そしてぐいと顔を近づけると、私の耳元に口を寄せ、低い声で囁いた
「そんなお前を組み敷く日がいずれ来ると思うと、今から楽しみでならん。俺の下で涙を浮かべ頬を染め、許しを請うお前の顔が早く見たい」
「~~~~っっ!! 」
 反射的にヒナツの胸を押しのけ、思わず叫ぶ。
「こんのっ、どすけべ王っ!」
「はぁーっはっはっは!!!」
(しまった、声に出た)
 とはいえ、先ほどまで凍り付いていた場の空気は確実に和らいでいた。皆もおずおずと笑顔を取り戻す。そのこと自体は良いのだが。
(くっ、あのセクハラ野郎、なんてセリフを! 原作ゲームにはなかったぞ! しかも担当声優さんと同じ声帯してるから、無駄にいい声でタチが悪い!)
 屈辱と、思わぬ美声サービスに、感情のやり場に困る。

 その時、再びチヨミが祝宴の席から抜けようとしているのが見えた、
「チ……!」
 呼び止めようとして、私は思い出す。ヒナツがソウビに気を取られている隙に、チヨミがあるイベントを起こすことを。
(そうだった。地下牢にいる彼を解放しに行くんだよね。今は囚われの身だけど実は隣国の王子であるメルクを)
 隣国の王子メルクは隠し攻略キャラだ。チヨミの手で逃がさなくとも、いずれ彼の部下によって救い出されるので、後のストーリーに影響はない。だが、ここでメルク解放イベントを起こしておくと、攻略が可能となるのだ。
(なら邪魔しちゃいけないな。……となると)
 ヒナツがチヨミの行動に気づかぬよう、私はここで彼を引き付けておかなきゃならない。原作でもそうだった。ヒナツがソウビに夢中だったおかげで、チヨミは彼に悟られることなく目的を達成できるのだから。
(うぅ、ヒナツの好感度上げたくない!)
 だがこれも、魂の双子チヨミのためだ。
(よし、ヒナツの気を引きつつも好感度を上げない、そして怒らせないギリギリのラインを狙う!)
 私はフォークの先にフルーツを刺す。そしてそれをヒナツの口元へと持って行った。
「いかがした、ソウビ殿?」
「先ほどは、失礼いたしました」
 視界の端で、チヨミが部屋を出て行ったのを確認する。
(よし!)
「ヒナツ様、どうぞお召し上がりを」
「うん? 先程とはうってかわった態度だな。どういう風の吹き回しだ?」
(ぐぎぃ!)
 顔面の筋肉を総動員し、怪しまれぬよう極上の笑みを浮かべる。このシーン、ゲーム内では一切描写されていない。作品はチヨミ視点で進むため、『チヨミが牢に向かった頃、ヒナツはソウビに気を取られていた』以外の情報がないのだ。
(気に入られないよう、かつ、さっきの流れで口にしてもおかしくないセリフ……)
 フルーツがヒナツの唇に触れようとした瞬間、私はサッと手首を翻し、それを自分の口へと運んだ。
「残念、時間切れ」
「……」
 罪のない悪戯を演出するため、私はにっこりと目を細める。
「首尾よく王座を手に入れた男なら、わずかな機会も逃さぬものと思っていたけれど、存外うっかりしておられるご様子。その調子では、今の地位もいずれ他の者に取って代わられましょうね?」
(これでどうだ!? ちょっと生意気で、好感度-5程度でいけたのでは?)
 私は笑顔を保ちつつ、内心びくびくしながら結果を待った。
「……。……クク」
 ヒナツが喉の奥で低く笑う。
「やはりおもしろい女だ。これほど俺の心を引っ掻き回す女には出会ったことがない」
(おっしゃ、セーフ!)
「ソウビ、お前を屈服させた時こそ初めて、俺はこの国を手に入れたことになるのかもしれんな」
(おい、ソウビ『殿』はどうした? 『殿』どこに落した!?)
 この反応、おおよそ私の狙い通りになったと考えていいのだろうか。
(いや、ちょっと待って?)
 ヒナツが先ほど口にした言葉に、乙女ゲーマーとして反応せざるを得ない。
(さっき『おもしれー女』って言わなかった? これ、ひょっとして気に入られたパターン?)
 そこで私は、ヒナツの設定を思い出した。
(あーっ、そうだった!! ヒナツは自分を振り回す女が好みで、だからソウビはわざとそう振舞うようになったんだった! まずいまずい、これじゃ原作同様、傾国ルートに入っちゃう!? ぎゃあああ、違う! 狙ったのはそっちじゃない!!)

「失礼いたします」
 頭を抱える私の前に、給仕の者が白い液体を満たしたグラスを運んできた。
(! これって『ドラゴンミルク』?)
『GarnetDance』の中のキーアイテム『ドラゴンミルク』が目の前にあった。

 この国の守護獣と崇められている北の山に住む聖なるドラゴンの、首筋から分泌される液体。
 美味で栄養価も高いが、入手が困難なため、特別な祝いの席でのみ振るわれる貴重なドリンクだ。
 特別な祝いとは、戴冠式や王族の結婚式などである。

(ヒナツが玉座から追われる一因になるのが、このドラゴンミルクなんだよね。希少で神聖な液体なのに、ソウビの美肌のため、毎日の入浴に使わせちゃって……)
 私は黄金で彩られた盃を手にし、そこに満たされた液体をじっと見る。
(ところでドラゴンの分泌液なんて、飲んでも平気なの?)
「どうした、ソウビ」
 ヒナツが私と距離を詰め、目を覗き込んできた。
「王となった俺を祝ってくれんのか?」
「……」
 ドラゴンの分泌液と言う情報に抵抗はあったが、ドラゴンミルクはこの世界における神聖な飲み物だ。私は覚悟を決め、グッとあおった。
 冷たくとろりとした食感が、舌から喉へと通り抜ける。
(わっ、美味しい!)
 ヨーグルトのような酸味にまろやかなコク、ちょうどいい甘さ。
(ラッシーに生クリームを加えた感じ?)
 想像より格段に美味しかったが、これを浴槽に満たして入浴しようなどという感性は理解できない。
(ボディーミルクの中にそのまま入るようなものだよ?)
 そんなことを考えながら盃を見つめていると、さっと髪をひと房すくわれる気配があった。ヒナツが気取った仕草でそこにキスを落とす。
「ははは、ソウビ。こうして並んでドラゴンミルクを飲み交わしていると、まるで俺たちの婚礼のようだな!」
(はい!?)
 妻帯者が何言ってんだ!? 完全なるセクハラ上司のごとき言い草にカチンとくる。私は髪を振り払った。
「私は婚約者のいる身です。やめてもらえます?」
「ふわははは、その嫌そうな顔!」
 怒りを堪え務めて冷静に突き放したものの、何が楽しいのか、ヒナツはゲラゲラ笑いながら膝を叩いている。やがて彼はスッと顔を引き締めると、瞳に冷酷な光をたたえ、私の耳元へ口を寄せた
「だがソウビ、どんなに不服でもお前は俺に逆らえん。そのふくれっ面も愉快でたまらん」
「っ!?」
 私は囁かれた側の耳を押さえ、わずかに飛び退る。逃げられぬ獲物を前にした残虐な笑みを浮かべ、ヒナツは玉座にどっかりと座り直した。
(ぎぃいい!! 腹立つ! ドMと思ったらドSでもあるんかい!!)
 粟立った腕をさすり、私はヒナツから顔をそむける。
(いや、どっちでもいい! とにかくこれ以上私のこと気に入るな! お前と進む道は破滅への直行便なんだから。それに……)
 私を苛立たせる大きな理由がもう一つ。
(人気声優さんの声帯でしゃべるの勘弁してもらえますかね? 別のゲームではかなり好きなキャラ演じていた人と同じ声だから、複雑な気持ちになる!!)
 乙女ゲーマーなら、この気持ち、お分かりいただけるだろうか?
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