ミオソティスとクローバー
2
◯放課後の二年三組の教室、逢璃の席
逢璃「はぁ……」
逢璃(ひとまず、無事に初日が終わってよかったぁ……)
机に突っ伏し、深く溜め息を吐きながら一日を思い返す。
◯(回想モノローグ)
朝、慶吾くんが離れた途端、クラスの女の子たちにもみくちゃにされた。
(席に座る逢璃の周りを囲うようにクラスの女子が立っている。嬉々として質問を思い思いに投げかける様子を思い出しながら)
どこから転校してきたのか。
どうして転校してきたのか。
家族は? 特技は? 習いものやバイトは?
全部わたしが答えきる前に質問を被せてくるから、まるで雨あられに打たれているみたいだった。
それも、休み時間ごとに入れ代わり立ち代わり。
でも、知ってるんだ。
(逢璃の悲しげな目元のアップ)
みんな楽しそうに質問を投げたわりに、わたしが答えた内容なんて一割程度も覚えてないんだろうってこと。
だって、わたしはこの日一日でどこかのグループに定住を許されたわけでも、特定の友達が出来たわけでもないから。
それにわたしは、既にコミュニティが固く結束している場所へ難なく入っていけるような、社交的な性格でもない。
みんながわたしに見ているもの、それは――
◯(回想終わり)
慶吾「――疲れましたか」
右隣から低く声をかけられたことで、一気に現実に引き戻る逢璃。慌てて顔を上げながら。
逢璃「だっだだ大丈夫大丈夫っ!」
顔の前で両方の掌をブンブンと振る。懸命に気丈に振る舞う逢璃。
逢璃「なななんか無意識に、緊張しっぱなしだったみたいで、ひと心地ついただけ!」
慶吾「初日だしな、しゃあねぇ」
言いながらカバンを担ぎ立ち上がる慶吾。逢璃からは左横顔が見えている状態。
逢璃(落ち着いて見てみると、慶吾くんって本当に背が高い)
つい、じーっと目で追ってしまう逢璃。
以下、慶吾の各部位ごとにスポットが当たるように。
逢璃(首も手脚も、細くて長いし)
逢璃(髪は黒くて、緩いナチュラルウェーブで……なんか柔らかそう。ちょっと触ってみたいかも)
逢璃(あ、耳が大きい。そういえば「大きな耳は周囲の話をよく聞くことのできる証」とかいうよね、納得かも)
逢璃(制服は馴染んでるのに、すごく手入れが行き届いてる。半日着ててもシワがないなんて……きっと慶吾くんの制服を洗ってくれるひとが、いつもじっくり時間かけてるんだろうなぁ)
切なげな表情の逢璃。胸の浅いところがチク、とする。
逢璃(同じ日本人で高校二年生ってこと以外、全部がわたしと大違いだなぁ……)
慶吾「逢璃サン、このあと時間ある?」
ばちりと視線がかち合って、名前を呼ばれたことではっと我に返る。
逢璃「っと、え? じ、時間っ?」
慶吾「そ。大丈夫なら部活案内しよーと思ってんだけど、どーすか? 当然、ガイドは俺」
浅く顔を向ける慶吾。相変わらず無表情。
逢璃「あ、じゃあ、お言葉に甘えて……」
言いながらそっと立ち上がる逢璃。
逢璃「けどいいの? 慶吾くんの予定は?」
慶吾「別に。部活のヤツらには昼休みンとき連絡したし、終わり次第行きゃいいから」
逢璃「そう、なんだ。何部なの?」
慶吾「名刺にあったろ。俺、生徒会長」
言われて、逢璃は制服である白いセーラー服の胸ポケットに入れていた生徒手帳を取り出し、その内側から慶吾の手作り名刺を取り出す。
名刺のアップ。羅列された肩書きの一番上を見ながら。
逢璃(た、たしかに)
逢璃「ていうか、慶吾くんって会長もクラス代表もやってて、改めて見るとすごいね」
慶吾「そりゃどーも」
逢璃「どっちもジャンケンで負けたから、とか?」
可哀想に、という感情をやや滲ませて訊ねる逢璃。
なぜそう思ったのかわからない慶吾。無表情のまま「は?」とキョトン。
慶吾「普通に立候補だけど」
逢璃「えっ?」
ぎょっとしつつ名刺の肩書きを改める逢璃。
逢璃(言われてみれば、そうか。こんなに肩書きが多いってことは、本当に喜んでやってる……んだ? 無理矢理引き受けてイヤイヤやってたとしたら、わざわざ自分から名刺に加えないよね)
慶吾「とりあえず行きますか」
スタスタと後ろの扉へ向かう慶吾を、「あ、うんっ」と慌てて追う逢璃。
◯二年三組から出て、三階の廊下から二階の生徒会室を目指して進む二人。
歩行速度から、慶吾の三歩後ろを逢璃は追っている。
慶吾はポケットに手を突っ込んでいる。逢璃は前のめり気味に歩く。
都度都度誰かとすれ違い、慶吾が会釈程度の挨拶をされる様を感心しながら眺めている。立ち話はしない。
かけられる呼び方は「慶吾くん」「慶吾先輩」「会長」。
逢璃(会長って呼ばれるのが一番多いってことは、随分広く信頼されてるんだなぁ)
慶吾「初めに言っとくと」
浅く振り返りながら話を切り出す慶吾。
慶吾「見学したからってどっかの部活に絶対入んなきゃなんねーわけじゃねーから、安心しろな。逢璃サンの琴線に触れるか触れねーか見回りに行くくらいの軽い感じを予定してっから、あんま身構えねー感じで」
逢璃「う、うんっ」
身を乗り出すように耳を傾ける逢璃。
慶吾「で、こっから具体的な話」
すれ違いながら挨拶をされる慶吾。
慶吾「この高校の部活って、文化部のほうが力入ってんの。吹奏楽部は全国大会常連だし、美術部からは有名なデザイナーとか画家センセーとか出てたりしてな。あー、あと最近は弁論部もスゲーんだよ」
またもや挨拶をされる慶吾。
逢璃(慶吾くんて、歩行姿勢も良すぎ。背筋を伸ばして胸を張り続けられるなんてすごいなぁ。会長としての実績とか、先生たちからの信頼とかも積み重なって、自分に自信、あるんだろうな)
どうにかその左隣に歩き並ぼうとする逢璃だが、小走りのようになってしまいなかなか並べない。
逢璃(ていうか脚の長さっ!)
ぐぬぬ、と涙目の逢璃。
逢璃(慶吾くんの一歩、わたしの二歩弱なんですけど! わたし平均身長なのに、慶吾くんと並ぶと超ミニマムに見えるっ!)逢璃の身長、一五七センチ。
慶吾「逢璃サンは、前のガッコで部活入ってた?」
挨拶の合間に訊ねられる逢璃。えっ? と訊き返してから答える。徐々に息が上がってきた逢璃。
逢璃「えっ? と、特に、これといって」
慶吾「そースか。運動系と文化系なら得意なのは?」
逢璃「うーん。ど、どっちもどっち、みたいな?」
慶吾「ふーん。どっちから見てぇとかある?」
逢璃「け、慶吾くんの、オススメからで、大じょ――」
突然ピタリと立ち止まった慶吾。その背にぼすんと鼻から突っ込んでしまった逢璃。
慶吾が「あ、ワリ」と振り返り、それを鼻をさすりながら見上げた。
慶吾「もしかして俺、歩くの速ぇ?」
まったく疲れた様子のない慶吾。相変わらず真顔気味の無表情。しかも逢璃は、それにじっと見下されてどぎまぎとしてしまう。
逢璃(この構図とこの視線、なかなか慣れない……)
逢璃「だだ大丈夫っ。いま慶吾くん、気付いて止まってくれたし、だからもう、平気」
慶吾「別に全然急いでねーのに、知らねーうちにアンタのこと置いてくかもしんねー速さで進んだって意味ねーのよ。けど俺、気付いたら知らねーうちに速度出てんだよ。ウチの男どもも歩くの速ぇから遺伝なんだろーけど」
逢璃「ウチの男ども、って」
慶吾「親族」
あぁ、と声に乗らない相槌を返す逢璃。
首の後ろに手をやる慶吾。
慶吾「だァら、逢璃サンのペースから外れてたら遠慮しねーで都度都度言ってくんね?」
逢璃「ごごごめん、なさい。明日にはもう、ペース、合わせられると思うから。だから気にしな――」
慶吾「そうじゃなくて」言葉を被せてきた。
びくりと顔を上げた逢璃。慶吾の真顔の奥の感情が読めず、胸の内側がざわざわと波立つ。
慶吾「今回は歩く速さだけど、そーゆーのだけじゃなくていろんなことでの話な」
逢璃「いろんな、こと?」
慶吾「簡単に言やあ、ちょっとのズレだろーとあらかじめ教えといてくんね? っつーこと。アンタがどういうこと大事にしてて、どういうことイヤなのか、知り合ったばっかでわかるわけねーじゃん? 俺とアンタの『当たり前』は絶対違ぇワケだしな」
だから、その、と慶吾の視線が一旦左下へ向いて、呼吸と共に戻ってくる。
慶吾「転校ばっかで落ち着かねーアンタが、ちょっとでも早くここで快適に過ごせるよーにしてぇワケ、俺は」
逢璃(あ……)
ジッと見つめてくる目の色を注視して。
逢璃(慶吾くんの目の色、ヘーゼル色なんだ。今日一日ずっと一緒だったのに、気が付かなかった)
逢璃「……あの」
慶吾「ん?」
逢璃「怒ってるわけじゃない、のね?」
慶吾「は? どこに怒んなきゃなんねー箇所あったよ?」
慶吾が数ミリ分眉間を詰めて怪訝そうにするのに対し、逢璃の波立っていた感情はみるみる穏やかに凪いでいき、まもなく晴れ渡るようだった。
慶吾「アンタこそ、別に卑屈なワケじゃねーんだな?」
逢璃「えっ。ひ、ひく?!」
しばたたかせて驚く逢璃を見て、慶吾は一八〇度ぐるんと背を向けて「ブフッ!」と噴き出した。
(慶吾は噴き出した瞬間の顔は他人に見せてしまうが、以降のすっかり笑っている顔は誰にも見せないし見えないような描き方で)
慶吾「無表情すぎて伝わ……グッククククク……てか犬かよ俺、プクフフフ……」
聞き取りにくいひとりごとを言いながら、細長い上半身を丸めてフルフルと震え、またもや小刻みに笑っている。
やはりこの姿に唖然としてしまう逢璃。
慶吾「ワリィ。朝も言ったけど、俺、笑いのツボむっちゃ浅くて」
ぐるんと戻ってきた慶吾。直立姿勢でやはり無表情。しかしどことなく頬が緩んだ痕跡が見て取れて、いまいち『戻りきれていない』。
慶吾「アンタに部活案内すんのかなり楽しみだしてて、そんで勝手に一人で突っ走ってたのがなんか……散歩楽しみにしてる犬みてぇだなとか、自分で思――ンクッフフフ……」
小声で説明するも、次第に顔が緩んでしまい、顔面を覆わなければならなくなるほど再度笑い始めてしまう。(直立姿勢で顔だけ覆うような格好)
逢璃(慶吾くんの『笑っちゃう点』が、やっぱり全然わかんない。むしろ、更にわかんなくなってきたかも)
逢璃(けど)
表情が明るくなっていく。
背景に心情として、凪ぎ晴れ渡った水面がキラキラと光を反射するような輝きを描く。
逢璃(慶吾くんは、悪意的にわたしを嗤ってるわけじゃない。しかも、純粋に楽しい気持ちで《《わたしのために》》行動してる……ってことだよね)
逢璃「……ふふっ」頬を染めて笑いがこぼれる。
逢璃(本当は誰よりも優しいのに、素直な気持ちが表に出にくいひとなのかもしんないな)
慶吾の無表情の裏がもうひとつ深堀りできて、喜びでくすぐったくなる逢璃。
顔を覆っていた指の隙間から「なに?」と慶吾が目だけを出す。「なんでもないよ」と首を振る逢璃。肩の力はすっかり抜けている。
慶吾「あのさ。ここから五歩だけ歩いてみてくんね」
覆っていた手を外し、進行方向を指した慶吾。逢璃はそれを見て反射的に従う。
六歩目で逢璃が慶吾を振り返ると、普段の無表情で口を結びジッとその様子を見ているようで。
慶吾「オケ。覚えた。俺、アンタの半歩前キープするようにするし。そしたら着いてきやすいだろ?」
逢璃の五歩を、慶吾は三歩で詰めてしまった。その歩数差でハッとする逢璃。
逢璃「歩幅、たしかめてくれたの?」
慶吾「あ? いや、まぁ」
逢璃は制服の腹部をぎゅっと握った。肩を縮み上げ、いびつで震えた声で夢中のままに放つ。
逢璃「ありがとうっ、慶吾くん」尊重されたことが嬉しい逢璃。
慶吾「や、そ……別、別に、大したことじゃねーだろ」
仰け反りつつ眉間にシワが寄る慶吾。
逢璃「そんなことない。よく知らないわたしのことを気遣ってくれる、慶吾くんの気持ちのひとつひとつが、わたしは単純に、嬉しいなって思うから」
逢璃(転校初日とか、初対面のときは、必ず『自分』を圧し殺して、しばらくの間はあらゆるすべてを我慢する。そういうマイルールを、わたしは永らく持っている。そのほうが、既にあるコミュニティには馴染みやすく、溶け込みやすい)
逢璃「今日の朝、突然わたしのこと頼まれたはずなのに、慶吾くんは自分からいろんな世話焼いてくれて、ずっと気にしてくれてるじゃない? 部活見学だって、特に先生に頼まれたわけじゃないでしょ?」
逢璃(それでも、ときには結局輪に入れず『単独』で過ごしたことだって何度もある。その都度正解がわからなくて、楽しみきれなくて、身の入らない学校生活を経験したんだ)
逢璃「きっと今日、わたしに付きっきりじゃなかったらやれてたことも、喋りたかった相手も、こなせる予定だってあったと思う。それでもわたしを想定以上に優先してくれる慶吾くんの責任感とか優しさが、無性に嬉しいなって思うんだ」
逢璃(だからこそ、慶吾くんが初日からあれやこれやと付きっきりで世話を焼いてくれて、わたしにとってはこの上ない安心材料だった。そりゃ始まりは担任の先生から頼まれたことだったけれど、それ以上を叶えてくる慶吾くんのひとのよさに、わたしは救われている)
慶吾「――なんだ」
鼻にかかるような「ふーん?」を返しつつ、慶吾はミリ単位で目を見開く。
慶吾「アンタ、ちゃんと自分の意見も言えんのか」
逢璃「……え?」
慶吾「遠慮がちで及び腰気質なのかと思ってた。だから卑屈なんかなーって。けど、ホントはそーじゃねーのな。周りの気持ちとか動きとか、そのへんの他人よりすんげー細かく見えちまうから、つい譲っちまうわけか」
ぼそりと付け加えられる「超スゲー」。
それを聞きカアと頬を赤くする逢璃。
慶吾とかち合っている視線を、まばたき多く途切れさせて「そっ、別にそんなことっ」と慌てて俯く。
逢璃(なんなんだろ……別に慶吾くんに恋愛感情を持ったわけでもないのに、ひと言ひと言に無性にドキドキする。いままで誰にもかけられたことがないのに、いつかどこかで誰かが、わたしの本当に欲しい言葉をかけてくれるんじゃあないか――そう心の奥底で期待している言葉が、ひとつずつ、朝知り合ったばかりの無表情でよくわからない柳田慶吾といういち男子生徒から次々に出てくる。なんか、意識するなと言われたら余計にわたし――)
逢璃「だ、だったらっ。けけ、慶吾くんのいる生徒会から、見てみたい、かな」
俯いたまま目をぎゅっと瞑って言い放つ逢璃。些細なことなのに慶吾の顔を見て言う勇気はない。
逢璃「慶吾くんがどんな生徒会長なのか見学して、わたしもそこから、この学校のこと、知りたい、と思うっ」
そう言い放った途端、逢璃の目の前で星がチカチカと散ったような描写を加える。
逢璃(わたし……自分から『言いたい』って思えたの、いつぶりだろう? 圧し殺さなくてもいいって思えてるの、いつぶりだろう?)
逢璃は握っていた制服の腹部をそっと離し、シワを伸ばし、その手を下腹部の前でそっと重ね置いた。
意識的に口角を上げ、そろりそろりと慶吾を見上げる。
慶吾「ふーん?」
真一文字に引かれていた慶吾の顔のアップ。
慶吾「じゃ、行きますか。俺のホームグラウンド」
そのあとで、数秒だけうっすらと笑う慶吾を、逢璃はしっかりと目撃した。
逢璃「はぁ……」
逢璃(ひとまず、無事に初日が終わってよかったぁ……)
机に突っ伏し、深く溜め息を吐きながら一日を思い返す。
◯(回想モノローグ)
朝、慶吾くんが離れた途端、クラスの女の子たちにもみくちゃにされた。
(席に座る逢璃の周りを囲うようにクラスの女子が立っている。嬉々として質問を思い思いに投げかける様子を思い出しながら)
どこから転校してきたのか。
どうして転校してきたのか。
家族は? 特技は? 習いものやバイトは?
全部わたしが答えきる前に質問を被せてくるから、まるで雨あられに打たれているみたいだった。
それも、休み時間ごとに入れ代わり立ち代わり。
でも、知ってるんだ。
(逢璃の悲しげな目元のアップ)
みんな楽しそうに質問を投げたわりに、わたしが答えた内容なんて一割程度も覚えてないんだろうってこと。
だって、わたしはこの日一日でどこかのグループに定住を許されたわけでも、特定の友達が出来たわけでもないから。
それにわたしは、既にコミュニティが固く結束している場所へ難なく入っていけるような、社交的な性格でもない。
みんながわたしに見ているもの、それは――
◯(回想終わり)
慶吾「――疲れましたか」
右隣から低く声をかけられたことで、一気に現実に引き戻る逢璃。慌てて顔を上げながら。
逢璃「だっだだ大丈夫大丈夫っ!」
顔の前で両方の掌をブンブンと振る。懸命に気丈に振る舞う逢璃。
逢璃「なななんか無意識に、緊張しっぱなしだったみたいで、ひと心地ついただけ!」
慶吾「初日だしな、しゃあねぇ」
言いながらカバンを担ぎ立ち上がる慶吾。逢璃からは左横顔が見えている状態。
逢璃(落ち着いて見てみると、慶吾くんって本当に背が高い)
つい、じーっと目で追ってしまう逢璃。
以下、慶吾の各部位ごとにスポットが当たるように。
逢璃(首も手脚も、細くて長いし)
逢璃(髪は黒くて、緩いナチュラルウェーブで……なんか柔らかそう。ちょっと触ってみたいかも)
逢璃(あ、耳が大きい。そういえば「大きな耳は周囲の話をよく聞くことのできる証」とかいうよね、納得かも)
逢璃(制服は馴染んでるのに、すごく手入れが行き届いてる。半日着ててもシワがないなんて……きっと慶吾くんの制服を洗ってくれるひとが、いつもじっくり時間かけてるんだろうなぁ)
切なげな表情の逢璃。胸の浅いところがチク、とする。
逢璃(同じ日本人で高校二年生ってこと以外、全部がわたしと大違いだなぁ……)
慶吾「逢璃サン、このあと時間ある?」
ばちりと視線がかち合って、名前を呼ばれたことではっと我に返る。
逢璃「っと、え? じ、時間っ?」
慶吾「そ。大丈夫なら部活案内しよーと思ってんだけど、どーすか? 当然、ガイドは俺」
浅く顔を向ける慶吾。相変わらず無表情。
逢璃「あ、じゃあ、お言葉に甘えて……」
言いながらそっと立ち上がる逢璃。
逢璃「けどいいの? 慶吾くんの予定は?」
慶吾「別に。部活のヤツらには昼休みンとき連絡したし、終わり次第行きゃいいから」
逢璃「そう、なんだ。何部なの?」
慶吾「名刺にあったろ。俺、生徒会長」
言われて、逢璃は制服である白いセーラー服の胸ポケットに入れていた生徒手帳を取り出し、その内側から慶吾の手作り名刺を取り出す。
名刺のアップ。羅列された肩書きの一番上を見ながら。
逢璃(た、たしかに)
逢璃「ていうか、慶吾くんって会長もクラス代表もやってて、改めて見るとすごいね」
慶吾「そりゃどーも」
逢璃「どっちもジャンケンで負けたから、とか?」
可哀想に、という感情をやや滲ませて訊ねる逢璃。
なぜそう思ったのかわからない慶吾。無表情のまま「は?」とキョトン。
慶吾「普通に立候補だけど」
逢璃「えっ?」
ぎょっとしつつ名刺の肩書きを改める逢璃。
逢璃(言われてみれば、そうか。こんなに肩書きが多いってことは、本当に喜んでやってる……んだ? 無理矢理引き受けてイヤイヤやってたとしたら、わざわざ自分から名刺に加えないよね)
慶吾「とりあえず行きますか」
スタスタと後ろの扉へ向かう慶吾を、「あ、うんっ」と慌てて追う逢璃。
◯二年三組から出て、三階の廊下から二階の生徒会室を目指して進む二人。
歩行速度から、慶吾の三歩後ろを逢璃は追っている。
慶吾はポケットに手を突っ込んでいる。逢璃は前のめり気味に歩く。
都度都度誰かとすれ違い、慶吾が会釈程度の挨拶をされる様を感心しながら眺めている。立ち話はしない。
かけられる呼び方は「慶吾くん」「慶吾先輩」「会長」。
逢璃(会長って呼ばれるのが一番多いってことは、随分広く信頼されてるんだなぁ)
慶吾「初めに言っとくと」
浅く振り返りながら話を切り出す慶吾。
慶吾「見学したからってどっかの部活に絶対入んなきゃなんねーわけじゃねーから、安心しろな。逢璃サンの琴線に触れるか触れねーか見回りに行くくらいの軽い感じを予定してっから、あんま身構えねー感じで」
逢璃「う、うんっ」
身を乗り出すように耳を傾ける逢璃。
慶吾「で、こっから具体的な話」
すれ違いながら挨拶をされる慶吾。
慶吾「この高校の部活って、文化部のほうが力入ってんの。吹奏楽部は全国大会常連だし、美術部からは有名なデザイナーとか画家センセーとか出てたりしてな。あー、あと最近は弁論部もスゲーんだよ」
またもや挨拶をされる慶吾。
逢璃(慶吾くんて、歩行姿勢も良すぎ。背筋を伸ばして胸を張り続けられるなんてすごいなぁ。会長としての実績とか、先生たちからの信頼とかも積み重なって、自分に自信、あるんだろうな)
どうにかその左隣に歩き並ぼうとする逢璃だが、小走りのようになってしまいなかなか並べない。
逢璃(ていうか脚の長さっ!)
ぐぬぬ、と涙目の逢璃。
逢璃(慶吾くんの一歩、わたしの二歩弱なんですけど! わたし平均身長なのに、慶吾くんと並ぶと超ミニマムに見えるっ!)逢璃の身長、一五七センチ。
慶吾「逢璃サンは、前のガッコで部活入ってた?」
挨拶の合間に訊ねられる逢璃。えっ? と訊き返してから答える。徐々に息が上がってきた逢璃。
逢璃「えっ? と、特に、これといって」
慶吾「そースか。運動系と文化系なら得意なのは?」
逢璃「うーん。ど、どっちもどっち、みたいな?」
慶吾「ふーん。どっちから見てぇとかある?」
逢璃「け、慶吾くんの、オススメからで、大じょ――」
突然ピタリと立ち止まった慶吾。その背にぼすんと鼻から突っ込んでしまった逢璃。
慶吾が「あ、ワリ」と振り返り、それを鼻をさすりながら見上げた。
慶吾「もしかして俺、歩くの速ぇ?」
まったく疲れた様子のない慶吾。相変わらず真顔気味の無表情。しかも逢璃は、それにじっと見下されてどぎまぎとしてしまう。
逢璃(この構図とこの視線、なかなか慣れない……)
逢璃「だだ大丈夫っ。いま慶吾くん、気付いて止まってくれたし、だからもう、平気」
慶吾「別に全然急いでねーのに、知らねーうちにアンタのこと置いてくかもしんねー速さで進んだって意味ねーのよ。けど俺、気付いたら知らねーうちに速度出てんだよ。ウチの男どもも歩くの速ぇから遺伝なんだろーけど」
逢璃「ウチの男ども、って」
慶吾「親族」
あぁ、と声に乗らない相槌を返す逢璃。
首の後ろに手をやる慶吾。
慶吾「だァら、逢璃サンのペースから外れてたら遠慮しねーで都度都度言ってくんね?」
逢璃「ごごごめん、なさい。明日にはもう、ペース、合わせられると思うから。だから気にしな――」
慶吾「そうじゃなくて」言葉を被せてきた。
びくりと顔を上げた逢璃。慶吾の真顔の奥の感情が読めず、胸の内側がざわざわと波立つ。
慶吾「今回は歩く速さだけど、そーゆーのだけじゃなくていろんなことでの話な」
逢璃「いろんな、こと?」
慶吾「簡単に言やあ、ちょっとのズレだろーとあらかじめ教えといてくんね? っつーこと。アンタがどういうこと大事にしてて、どういうことイヤなのか、知り合ったばっかでわかるわけねーじゃん? 俺とアンタの『当たり前』は絶対違ぇワケだしな」
だから、その、と慶吾の視線が一旦左下へ向いて、呼吸と共に戻ってくる。
慶吾「転校ばっかで落ち着かねーアンタが、ちょっとでも早くここで快適に過ごせるよーにしてぇワケ、俺は」
逢璃(あ……)
ジッと見つめてくる目の色を注視して。
逢璃(慶吾くんの目の色、ヘーゼル色なんだ。今日一日ずっと一緒だったのに、気が付かなかった)
逢璃「……あの」
慶吾「ん?」
逢璃「怒ってるわけじゃない、のね?」
慶吾「は? どこに怒んなきゃなんねー箇所あったよ?」
慶吾が数ミリ分眉間を詰めて怪訝そうにするのに対し、逢璃の波立っていた感情はみるみる穏やかに凪いでいき、まもなく晴れ渡るようだった。
慶吾「アンタこそ、別に卑屈なワケじゃねーんだな?」
逢璃「えっ。ひ、ひく?!」
しばたたかせて驚く逢璃を見て、慶吾は一八〇度ぐるんと背を向けて「ブフッ!」と噴き出した。
(慶吾は噴き出した瞬間の顔は他人に見せてしまうが、以降のすっかり笑っている顔は誰にも見せないし見えないような描き方で)
慶吾「無表情すぎて伝わ……グッククククク……てか犬かよ俺、プクフフフ……」
聞き取りにくいひとりごとを言いながら、細長い上半身を丸めてフルフルと震え、またもや小刻みに笑っている。
やはりこの姿に唖然としてしまう逢璃。
慶吾「ワリィ。朝も言ったけど、俺、笑いのツボむっちゃ浅くて」
ぐるんと戻ってきた慶吾。直立姿勢でやはり無表情。しかしどことなく頬が緩んだ痕跡が見て取れて、いまいち『戻りきれていない』。
慶吾「アンタに部活案内すんのかなり楽しみだしてて、そんで勝手に一人で突っ走ってたのがなんか……散歩楽しみにしてる犬みてぇだなとか、自分で思――ンクッフフフ……」
小声で説明するも、次第に顔が緩んでしまい、顔面を覆わなければならなくなるほど再度笑い始めてしまう。(直立姿勢で顔だけ覆うような格好)
逢璃(慶吾くんの『笑っちゃう点』が、やっぱり全然わかんない。むしろ、更にわかんなくなってきたかも)
逢璃(けど)
表情が明るくなっていく。
背景に心情として、凪ぎ晴れ渡った水面がキラキラと光を反射するような輝きを描く。
逢璃(慶吾くんは、悪意的にわたしを嗤ってるわけじゃない。しかも、純粋に楽しい気持ちで《《わたしのために》》行動してる……ってことだよね)
逢璃「……ふふっ」頬を染めて笑いがこぼれる。
逢璃(本当は誰よりも優しいのに、素直な気持ちが表に出にくいひとなのかもしんないな)
慶吾の無表情の裏がもうひとつ深堀りできて、喜びでくすぐったくなる逢璃。
顔を覆っていた指の隙間から「なに?」と慶吾が目だけを出す。「なんでもないよ」と首を振る逢璃。肩の力はすっかり抜けている。
慶吾「あのさ。ここから五歩だけ歩いてみてくんね」
覆っていた手を外し、進行方向を指した慶吾。逢璃はそれを見て反射的に従う。
六歩目で逢璃が慶吾を振り返ると、普段の無表情で口を結びジッとその様子を見ているようで。
慶吾「オケ。覚えた。俺、アンタの半歩前キープするようにするし。そしたら着いてきやすいだろ?」
逢璃の五歩を、慶吾は三歩で詰めてしまった。その歩数差でハッとする逢璃。
逢璃「歩幅、たしかめてくれたの?」
慶吾「あ? いや、まぁ」
逢璃は制服の腹部をぎゅっと握った。肩を縮み上げ、いびつで震えた声で夢中のままに放つ。
逢璃「ありがとうっ、慶吾くん」尊重されたことが嬉しい逢璃。
慶吾「や、そ……別、別に、大したことじゃねーだろ」
仰け反りつつ眉間にシワが寄る慶吾。
逢璃「そんなことない。よく知らないわたしのことを気遣ってくれる、慶吾くんの気持ちのひとつひとつが、わたしは単純に、嬉しいなって思うから」
逢璃(転校初日とか、初対面のときは、必ず『自分』を圧し殺して、しばらくの間はあらゆるすべてを我慢する。そういうマイルールを、わたしは永らく持っている。そのほうが、既にあるコミュニティには馴染みやすく、溶け込みやすい)
逢璃「今日の朝、突然わたしのこと頼まれたはずなのに、慶吾くんは自分からいろんな世話焼いてくれて、ずっと気にしてくれてるじゃない? 部活見学だって、特に先生に頼まれたわけじゃないでしょ?」
逢璃(それでも、ときには結局輪に入れず『単独』で過ごしたことだって何度もある。その都度正解がわからなくて、楽しみきれなくて、身の入らない学校生活を経験したんだ)
逢璃「きっと今日、わたしに付きっきりじゃなかったらやれてたことも、喋りたかった相手も、こなせる予定だってあったと思う。それでもわたしを想定以上に優先してくれる慶吾くんの責任感とか優しさが、無性に嬉しいなって思うんだ」
逢璃(だからこそ、慶吾くんが初日からあれやこれやと付きっきりで世話を焼いてくれて、わたしにとってはこの上ない安心材料だった。そりゃ始まりは担任の先生から頼まれたことだったけれど、それ以上を叶えてくる慶吾くんのひとのよさに、わたしは救われている)
慶吾「――なんだ」
鼻にかかるような「ふーん?」を返しつつ、慶吾はミリ単位で目を見開く。
慶吾「アンタ、ちゃんと自分の意見も言えんのか」
逢璃「……え?」
慶吾「遠慮がちで及び腰気質なのかと思ってた。だから卑屈なんかなーって。けど、ホントはそーじゃねーのな。周りの気持ちとか動きとか、そのへんの他人よりすんげー細かく見えちまうから、つい譲っちまうわけか」
ぼそりと付け加えられる「超スゲー」。
それを聞きカアと頬を赤くする逢璃。
慶吾とかち合っている視線を、まばたき多く途切れさせて「そっ、別にそんなことっ」と慌てて俯く。
逢璃(なんなんだろ……別に慶吾くんに恋愛感情を持ったわけでもないのに、ひと言ひと言に無性にドキドキする。いままで誰にもかけられたことがないのに、いつかどこかで誰かが、わたしの本当に欲しい言葉をかけてくれるんじゃあないか――そう心の奥底で期待している言葉が、ひとつずつ、朝知り合ったばかりの無表情でよくわからない柳田慶吾といういち男子生徒から次々に出てくる。なんか、意識するなと言われたら余計にわたし――)
逢璃「だ、だったらっ。けけ、慶吾くんのいる生徒会から、見てみたい、かな」
俯いたまま目をぎゅっと瞑って言い放つ逢璃。些細なことなのに慶吾の顔を見て言う勇気はない。
逢璃「慶吾くんがどんな生徒会長なのか見学して、わたしもそこから、この学校のこと、知りたい、と思うっ」
そう言い放った途端、逢璃の目の前で星がチカチカと散ったような描写を加える。
逢璃(わたし……自分から『言いたい』って思えたの、いつぶりだろう? 圧し殺さなくてもいいって思えてるの、いつぶりだろう?)
逢璃は握っていた制服の腹部をそっと離し、シワを伸ばし、その手を下腹部の前でそっと重ね置いた。
意識的に口角を上げ、そろりそろりと慶吾を見上げる。
慶吾「ふーん?」
真一文字に引かれていた慶吾の顔のアップ。
慶吾「じゃ、行きますか。俺のホームグラウンド」
そのあとで、数秒だけうっすらと笑う慶吾を、逢璃はしっかりと目撃した。