シュガー&ソルト 〜俺のヒロインにならない?〜
第三話
〇屋上(放課後)
桜雅「よし、じゃあ行こうか」
つばめ「え?」
桜雅「部室。もう部活始まってる時間だからさ、俺一人だと遅刻したってみんなに怒られちゃう」
校舎の時計台を指差しながら、桜雅が眉を下げる。
桜雅「だから、お願い」
あざとくぱちんと両手を合わせる桜雅。
桜雅「塩見がいたら、勧誘成功したって言い訳できるから」
つばめ「随分はっきり言いますね……」
桜雅「まぁ、塩見には嘘とか通じなさそうだし。真正面から頼まれた方が断れないだろ?」
つばめ(確かにそりゃそうですけど……)
つばめ(演劇部の王子の頭が上がらないなんて、鬼教官のような人がいるのだろうか)
ぶるりと震えて身構えるつばめ。
やっぱりちょっと考えさせてもらおうかなと、口を開いたつばめに被せるように桜雅が悪戯に笑う。
桜雅「ちなみに、今更辞めるとかは無しね」
つばめ(先越された……)
恨めしげに桜雅を見るつばめ。
桜雅「あ、そういえば、確か少し前に入った新一年生はまだ続いてるはずだから……」
つばめ「私の他にもいるんですか」
同級生がいるのは心強い。
つばめが思わず身を乗り出すと、桜雅はむと唇を尖らせた。
桜雅「駄目だよ、塩見。他の奴らにしっぽ振ってちゃ」
つばめ「へ?」
桜雅「塩見は俺の、……うーん、やっぱり『ヒロイン』しか思い浮かばないな」
つばめ「ッ、」
桜雅「うん、塩見は俺のヒロインになるんだから」
桜雅「俺だけを見ててよ」
茶化すわけでもなく、真剣な眼差しに射抜かれる。
つばめ(ずるい……)
顔を赤くして俯くつばめ。
桜雅はそんなつばめを気にすることなく、「あ、やば」と呟いた。
桜雅「ほら、行くよ」
つばめの手を取って、歩き出す。
つばめ(手……)
突然触れられて、ドキッと心臓が跳ねる。
平然としている桜雅にとっては何ともないんだ。
何も言えなくなったつばめは、黙って後ろを着いていくしかなかった。
〇多目的ホール(放課後)
すっかり人の気配がなくなった校舎を連れ立って歩く。
多分、放課後じゃなかったら桜雅とふたりで歩くなんて、絶対に断っていた。
たどり着いたのは、多目的ホール。
目の前まで行って、だけどなかなか中に入ることはできなかった場所。
つばめ(すごい、ここに私が憧れた人たちがいるんだ……)
じんと胸が熱くなるつばめ。
桜雅「お疲れ」
そう言って、先に入っていく桜雅の後を慌てて追いかけて中に入った瞬間、飛んできた怒号。
悠里「遅い! どこをほっつき歩いてたんだよ」
桜雅「ごめんごめん」
桜雅の背中に隠れて、つばめは中が見えない。
悪びれる様子もなく、笑いながら謝る桜雅。
美亜「もう、悠里も落ち着きなさい。佐藤にいちいちキレてたら、寿命縮めるよ」
美羽「そうそう、央くんを見習いなさい」
央「…………」
悠里「〜〜ッ! 何で俺が宥められてるんだよ! 元はと言えば、こいつが悪いのに!」
桜雅「ほら、先輩に向かって『こいつ』とか言わないの」
悠里「クソが、何で俺はこんな奴と幼馴染なんだよ」
桜雅「ふふ、かわいそうに」
悠里「どの口が言ってんだよ!」
キャンキャン吠える子犬を、みんなでよしよし宥めているような光景。
タイミングを逃して、恐る恐る顔を出したつばめは、一番に気づいた央と目が合った。
央「あ、」
何を考えているのか分からない切れ長の瞳に射抜かれる。何となく気まずくてぺこりと会釈するつばめ。
見覚えのある彼は、話したこともない同じクラスの男子・那須央だった。
つばめとは違う意味で一匹狼の彼は、女子から圧倒的人気を誇っている。恐らく、桜雅がいなければ覇権を握っていただろう。
誰に対しても無愛想だと思っていた央が会釈を返す。
センターパートの黒髪と左耳につけられたフープピアスがさらりと揺れた。
美亜「待って、後ろの子って、もしかして……」
美羽「ずっと探してたっていうヒロイン候補?」
緊張で震えるつばめの前に同じ顔がふたつ。
興味津々にずいと観察されて、つばめは桜雅の影に隠れながら更に体を小さくした。
桜雅「二人とも圧が強すぎる。ちょっと離れて」
美羽「やっと、女の子の後輩が入ってきてくれた……!」
つばめ(ひぇ……)
庇うように立った桜雅を押しのけた美羽が、つばめの手を取る。
同性の先輩と絡む機会なんて滅多になくて、身構えてしまう。だって、こんなキラキラ女子からは聞こえるように陰口を言われたことしかなかったから。
美亜「お名前は?」
美羽「一年生だよね? 央くんとは知り合い?」
美亜「演劇好きなの?」
美羽「好きなコスメブランドある?」
キラキラと瞳を輝かせて、質問攻めにする双子。
答える暇もなくて、つばめはあわあわと目を回す。
その様子を見て、頭に手をやった桜雅はため息を吐いた。
央「先輩たち、その子困ってますよ」
美亜「あ、ごめんね」
美羽「あたしたち以外、全員男だからさ。テンション上がっちゃった」
美亜「私は桃原美亜。裏方の三年で、主に衣装を担当してます。よろしくね」
美羽「美亜と双子の美羽。ヘアメイクのことなら、あたしに任せてね」
つばめ「塩見つばめです……。えと、」
自己紹介に慣れていなくて、言葉を詰まらせるつばめ。
どうしようと困ってしまって、縋るように桜雅を見上げれば、ずっと黙っていた悠里が口を開いた。
悠里「つばめちゃん……!」
つばめ「は、はい!」
きゅるんとした大きな瞳がつばめを映す。
つばめ(女の子みたいにかわいい人だ)
去年の舞台を見ていたつばめはすぐにヒロイン役の人だって分かった。
悠里「本当にうちに入部してくれるの!?」
双子の間を割って入った悠里が鼻息荒く問い詰めながら、つばめの手をぎゅっと握る。
桜雅「ちょっと、俺のに気安く触らないでよ」
すぐにつばめを守りに入る桜雅は、悠里から手を離させる。それを気にもとめない悠里は、標的を桜雅に変えて詰め寄った。
悠里「桜雅くん! 俺はやっとヒロインから解放されるんだよね!? そういうことだよね!?」
桜雅「まぁ、塩見が入部したらそうなるね」
悠里「するよね、入部!」
ぐと顔を覗き込まれるつばめ。
真っ向からのコミュニケーションに不慣れなつばめは、一歩引いてしまうが、その背中をそっと桜雅が押した。
桜雅「ほら、大丈夫だから」
優しい声が降ってきて見上げれば、優しい笑みを浮かべた桜雅が頷く。
桜雅「したでしょ、約束」
その声に後押しされて、つばめは覚悟を決める。
つばめ「こんな私でよければ、入部させてください……」
悠里「やったー!」
懲りずにつばめの手を取った悠里は、くるくると回り始める。つばめは頭上に?を浮かべながら、されるがままだった。
美亜「よっぽど女装が嫌だったのね……」
美羽「えー、悠里を女の子にするの楽しかったのになぁ」
美亜「試作品の着せ替え人形の役目は継続してもらわないと……」
双子がぼやくのを聞いた悠里はぴたりと動きを止める。
悠里「もう一生、女装しませんから!」
悠里は双子にそう宣言すると、つばめに向き直った。
悠里「俺は二年の木梨悠里! これからよろしくな」
つばめ「よろしくお願いします……」
にぱあっと笑いかけられて、その眩しさに目がやられそう。
回されすぎて、少し気分が悪くなっているつばめに影ができる。見上げれば、央だった。
央「同じクラスだよね」
つばめ「はい、一応……」
央「一応ではないでしょ」
会話することさえ恐れ多くて、変な返事をしたつばめをくすりと笑う央。
央「那須央。よろしくね、つばめちゃん」
つばめ「こちらこそ……」
いつも無表情を貫いて、笑ったところなんて見たことなかった央が、ふんわりと柔らかな微笑みをつばめに向ける。真正面からイケメンの微笑を受け止めたつばめは、ぶわりと頬を赤くした。
つばめの頭上、桜雅と央の間でバチッと火花が散ったようだが、つばめはいっぱいいっぱいでそれに気づかなかった。
つばめ(去年の三年生はもう卒業されてるからいないけれど、あの舞台を作り上げた人たちが目の前にいる)
つばめ(すごい、本物だ……)
つばめ(正真正銘、あの星蘭高校演劇部のメンバーだ)
桜雅「部長は今日も来てないの?」
つばめ「部長……」
美亜「ごめんね、つばめちゃん。うちの部長、幽霊部員の変人だから滅多にここに来ないの」
美羽「来たとしてもすぐに『君たちの輝きに目が潰れる〜〜!』って脱走するからね」
桜雅「…………」
何かを思い出したのか、遠い目をする桜雅と悠里。
これまた癖が強そうな人物に、つばめの胃がキリキリと痛んだ。
はぁ、と先輩たちがため息を吐き出したのも束の間、廊下からバタバタと足音が聞こえてくる。
美羽「やだ、嫌な予感がする」
悠里「俺、帰っていいすか」
つばめ、央「……?」
つばめと央だけがよく分かっていない中、バタンと音を立ててドアが開かれた。
噂をすれば何とやら、現れたのは目元まで伸びたボサボサ頭にメガネをかけた少し猫背の男。
京介「聞こえたよ! 新たな原石の誕生する音が……!」
つばめ(あ、やばい人だ……)
高らかにそう言う一人ミュージカル男の出現に一同ドン引き。
つばめ(もしかして、この人が……)
その男と不意にバチンと目が合ってしまって、つばめは恐怖で固まった。その男がにいと、ホラー映画さながらに口角を上げたから。