雑記帳(inベリーズカフェ)

ファンタジー創作物の固定観念、最近の「見返し」系の不自然さ

まず、ファンタジー創作物だと「勇者が魔王を討伐して」というのが定番のようだが。
それはRPGゲームのイメージから来ているのだろうが、普通に考えて、人類存亡の危機で僅か数名の勇者パーティーしか戦わないのはおかしい。
まず軍が魔王軍に抵抗するだろうし、その手の「勇者」遊撃隊・特殊部隊も(自発的にしろ軍から選抜・官製にしろ)複数チームいる方がむしろ自然である。最近ではそういう事情が一般にも考えられてライトアップされ、冒険チームが複数・多数いて、ギルド(組合)などが登場する場合も多いようだ。
それで自分が最近に携帯スマホで書いた「レトリバリック!」「魔法石の密造人」でも、勇者パーティーではなく「レジスタンス抵抗軍」や「ギルド」が、物語設定の前面に押し出されている。

   ー  ー  ー 

もう一つ気になったのが、よくインターネット広告で見かける漫画(複数)。いわゆる「見返し・逆転」系の話が多くプッシュされているようだ(先日の「鬼の花嫁」にしろファンタジーにしろ)。
だが、ちょっと見てみて、周り(迫害する元仲間)とかの性格が悪すぎたりバカ過ぎるステレオタイプ?(ときには勇者までが最悪でバカ?) はたして「そこまで?」と感じなくもない。「そういう話だから」と言えばそれまでだし、現実でも「かえってそんなもの」という見方もできなくはないけれど。
それに、いくら恨みつらみがあったとしても「どうでも良い相手」なんだから、わざわざ固執するほどの値打ちがあるかということでもある(実害が甚だしいのであれば報復するしかないだろうが)。単に仲が悪い・気にくわないだけれあれば、そんなもの捨てておいて、自分自身で好きにやりたいようにやってもいいわけだし。他人の評価や関係性は人間の欲求だとしても(正常な感覚ではあるが「受け身で流されている・生理反応しているだけ」というのは?)、それ以外のもっと「自分はどうしたい」とか主体性や自我みたいなのはないのかとか。

冷静に考えれば。むしろ、個々の人間の大部分が極端なバカや悪人というよりは、構造的な歪みによって悪意が増幅されたり、悪人が野放し横行してしまうようなケースが多いのでないか? そういう見方が自分が試作したスマホ小説(レトリバリック!など)にも反映されている。
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