後姿のピアニスト ♪ 新編集版 ♪
「あなたのことは主人から聞いて知っています。通りがかりに庭の花を愛でてくれる女性がいると、見舞いに来るたびに嬉しそうに話していました。そして、娘が戻ってきてくれたみたいで会うのが楽しみだと言ってたんですよ」

 見つめる瞳には優しさが溢れていた。
 花屋敷のご主人と奥さんとの間でそんな会話が交わされていると知って驚いたが、それ以上に、明るい表情で話してくれる奥さんの姿を見ることができたのが嬉しかった。
 ご主人を亡くされて悲しみのどん底に沈んでいることを想像していたから、救われた気持ちになった。
 
 しかし、返す言葉は何も思い浮かばなかった。
〈ご愁傷様でした〉でもなく、〈ご心痛お察し申し上げます〉でもない別の言葉を探し続けたが、脳の引き出しにそれ以外の言葉は入っていなかった。
 お見舞いの菓子を差し出しながら「お口に合えばよろしいのですが」とだけ言った。

「お心遣いありがとうございます」
 奥さんが軽く顎を引いたので脇にあるテーブルの上に紙袋を置くと、そこにはミモザの花が満開になっている写真が置いてあった。
 吸い込まれるように見ていると、
「きれいでしょう。今年は今までで1番豪華に咲いたよって主人が……」
 その後は嗚咽に変わった。
 視線を奥さんに戻すと、表情が一変していた。
「この写真を……、持ってきたその日が……、最後でした……」
 絞り出した途端、右の目尻から流れ落ちた悲しみの雫が耳の穴に吸い込まれていった。
 肩が揺れていた。
 両手で布団を掴んで頭まで被ると、布団全体が揺れ始めた。
 女は耐えられなくなって手を顔に持っていこうとしたが、その前にすべての穴から哀惜の情が溢れ出した。
 それを隠すように両手で顔を覆ってドアの方に向かったが、背中にすがるような嗚咽が追いかけてきて動けなくなった。
 女はその場にうずくまった。

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