『後姿のピアニスト』 ~辛くて、切なくて、 でも、明日への希望に満ちていた~ 【新編集版】
 10年前の2月、ミモザが満開を迎えようとしていた時だった。
 駅へ向かう交差点が青に変わって横断歩道を渡っていた時、信号無視をした自動車が猛スピードで突っ込んできて、娘さんを20メートルも跳ね飛ばして、逃げて行った。
 その上、地面に叩きつけられた娘さんを対向車が轢いた。
 即死だった。
 2日後、犯人が捕まった。
 80代後半の高齢者だった。
 そして、元高級官僚だった。
 犯人は「信号が変わったのでブレーキを踏もうとしたがアクセルを踏み込んでしまった」と供述した。
 逃げたことに対しては「気が動転して何も覚えていない」と言い訳をした。
 捜査の結果、自動車運転処罰法違反(過失致死傷)の容疑があるとして書類送検された。
 しかし、逮捕はされなかった。
 証拠隠滅の恐れがなかったことと、事故後入院していて逃亡の恐れがないというのが理由だった。
 対して花屋敷のご主人と奥さんは、危険運転致死傷だと訴えた。
 しかし、わざと暴走させたのではなく、ブレーキとアクセルの踏み間違いが原因だったと結論付けられ、過失という判断が下された。

 ご主人と奥さんは納得しなかった。
 すぐに厳罰を求める署名活動を行い、50万人の署名を集めることができた。
 しかし、判決が覆ることはなく、略式起訴で罰金刑が申し渡されて終わってしまった。
 それでも世論とマスコミは許さなかった。
「上級国民に対する特別扱いだ!」という声があちこちから上がったのだ。
 それによって流れが一気に変わるかと思われたが、残念ながらそうはならなかった。
 犯人は豪華な自宅で悠々と暮らし続け、5年後に老衰のため亡くなった。
 厳罰も収監もないまま遺族の目の前から姿を消したのだ。
 
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