『後姿のピアニスト』 ~辛くて、切なくて、 でも、明日への希望に満ちていた~ 【新編集版】
 母が治療を始めてから4か月が経った頃、通院が月1回になりました。
 表情はかなり明るくなりました。
 掃除に加えて、洗濯、食器洗い、後片づけができるようになりました。
 朝食のトーストと目玉焼きも作れるようになりました。
 昼ご飯も簡単なものを作って自分で食べてくれるようになりました。
 わたしの負担が少しずつ減っていきました。
 もう少しだと思いました。
 久々に希望の光を感じるようになりました。

 その頃から母が週に二度外出するようになりました。
 それも決まって木曜日と土曜日でした。
 友人と会うためだと言っていましたが、帰りがわたしより遅い時もありました。
 その友人と夕食を共にしているらしいのですが、「誰と会っているの」と訊いてもいつもはぐらかされました。「お金は大丈夫なの」と訊いても「大丈夫」としか答えてくれませんでした。
 母には小遣いとして毎月1万円渡していましたが、月に8回も食事をすれば、それで足りるはずはありません。
 でも、小遣いをせびられることは一度もありませんでした。
 
 鼻歌のようなものを口ずさむことが多くなりました。
 思い出し笑いをすることもありました。
 うつ病が確実に治ってきているとしても、母の変化は普通ではないように思いました。
 それが気になってはいましたが、いつも疲れていたので、母と向き合うよりも睡魔の誘いに従うしかありませんでした。

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