後姿のピアニスト ~辛くて、切なくて、 でも、明日への希望に満ちていた~ 【新編集版】
 放課後のアルバイトはコンビニで17時から22時、土日のアルバイトはスーパーのレジ打ちで15時から20時でした。
 それだけでも結構きつかったのですが、平日は母の3食分を朝に作り置きし、土日も母の夜の分は昼食後に作り置きしなければなりませんでした。
 食器洗いと後片づけはバイトが終わってからやりました。
 体調が良い時には家事をしてくれるようになったので少しましになりましたが、わたしの毎日は常に時間に追われていました。
 それでも、母が少しずつ元気になっていくのを見るのが嬉しかったし、貯金からの持ち出しが少なくなったので、頑張ることが嫌ではありませんでした。
 
 しかし、休みなく働き続けて3か月目の朝、体が動かなくなりました。
 意識ははっきりしているのに体が動かないのです。
 誰かが上に乗っているような圧迫感を覚えて呼吸が荒くなっていました。
 もしかして金縛りかもしれないと思って、母を呼ぼうとしましたが声が出ませんでした。
 
 暫くして落ち着いたので起きることができたのですが、体がとても重く感じました。
 その日は学校もバイトも休みました。
 病院に行こうかとも思いましたが、その気力がわかなかったので家でごろごろしていました。
 心配した母が『内科・神経科クリニック』に電話をかけましたが、診察中なのであとでかけ直してくれるということになったようです。

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