『後姿のピアニスト』 ~辛くて、切なくて、 でも、明日への希望に満ちていた~ 【新編集版】
 部屋に入ると、男の背中が見えました。
 見覚えがある気がしました。
 男がゆっくりと振り向きました。
 知っている男でした。
 緊張したような表情で頭を下げましたが、何も言わずに顔を元に戻しました。
 わたしは男の正面に座りました。
 
「もしかして母の病気が……」
 男は頭を振りました。
「では、どうしてここに……」
 男は居住まいを正して、横に座る母の顔を見ました。
 母は緊張した面持ちで頷きました。
 男は頷き返して、ゴクンというように唾を飲み込みました。
 そして、信じられない言葉を発しました。
「お母さんにプロポーズしました」

 頭が真っ白になりました。
 瞬きができなくなりました。
 呼吸が止まっている事に気づいて、大きく息を吐きました。
 そして、息を吸い込みながら男の横に座る母を見ました。
 母も瞬きをしていませんでした。
 目を大きく見開いたままわたしに頷きました。
 
 意味がわかりませんでした。
 医師が患者にプロポーズ? 
 何それ? 
 わたしに隠れて何やってんの? 
 そんなこと許されるの? 
 お父さんを裏切っていいの? 
 どうなってんの? 
 そんなことがグルグル頭の中を回っていました。
 訳がわからなくなりましたが、それだけでなく、もっと酷いことを聞かされました。
「お腹の中にね」と言ったのです。

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