後姿のピアニスト ♪ 新編集版 ♪
 ビーフシチューを平らげた時、赤ワインはボトル半分になっていた。
 どうする? 
 ボトルに問いかけた。
 ボトルは何も言わなかったが、ワイングラスが(そそのか)した。
 飲んじゃえよ。
 そうだな、そうしよう。
 でも、ツマミがないな……、
 冷蔵庫にはチーズも何もなかった。
 どうしようかと思い悩んでいたら、本棚から声が聞こえてきた。
 音楽を肴にして飲んだらいいんだよ。
 CDが唆しているようだった。
 なるほど、それもいいな。
 本棚のガラス扉を開けて、どのCDにするか物色した。
 すると、勢いよく手を上げるCDがいた。
 私を選びなさいというように。
 それはビリー・ジョエルの2枚組ベストアルバムだった。
 手に取って裏面を見た途端、最初の曲に目が止まった。
『Piano Man』
 彼のデビュー曲だった。
 
 CDをセットして再生ボタンを押すと、ピアノのイントロに導かれてハーモニカの演奏が始まり、彼のハスキーヴォイスが静かに、 そして力強く迫ってきた。
 
 男はリズムに乗って体を揺らした。
 歌声に酔いしれた。
 しかしそれがいつまでも続くことはなく、エンディングが訪れ、ピアノの音が静かに消えていった。
 それでも心は満ち足りていた。
 Piano Manに乾杯! 
 グラスを掲げると、シラーが舌を、喉を、心を満たしていった。
 
 初期のヒット曲が続いたあと、6曲目が始まった。
 男の大好きな曲、『The Stranger』だった。
 クリスタルのようなピアノのイントロに導かれて寂しげな口笛がメロディを奏でると、
 ふっとピアニストの姿が浮かんできた。
 哀しそうにピアノを弾いていた後姿が。
 
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