『後姿のピアニスト』 ~辛くて、切なくて、 でも、明日への希望に満ちていた~ 【新編集版】
 そのあとのことはよく覚えていません。
 いつの間にか、公園の入口に立っていました。
 視線の先にはブランコがありました。
 近づいて両手でチェーンを掴み、ゆっくりと腰を下ろしました。
 ブランコに乗るのは久し振りでした。
 いつ以来のことか思い出せませんでしたが、母がわたしを太腿の上に抱っこして漕いでくれたことが蘇ってきました。
 でも、それは記憶ではないのかもしれません。
 父が撮った写真をあとで見たことを記憶と勘違いしているだけかもしれないからです。
 そうだとしても、母の太腿が温かかったことを覚えているような気がしました。
 でも、その記憶らしきものはすぐに頭から消し去りました。
 
 ブランコを後ろに引いて、そっと足を上げました。
 わたしの体が前に行き、そして後ろに戻りました。
 しかし、心は戻りませんでした。
 木枯らしがどこかへ運んでいってしまったのだと思います。
 
 突然、父の寂しそうな顔が浮かんできました。
 ごめんなさい……、
 謝ると、父の顔が消えました。
 入れ替わるように医師の顔と声が蘇ってきました。
「プロポーズしました」
 続いて母の声が聞こえてきました。
「お腹の中にね、」
 その声が耳の奥で反響を始めました。

 止めて! 
 思わず両手で耳を押さえました。
 両手を放したわたしはバランスを取ることができなくなり、ブランコから落ちてしまいました。
 地面が冷たかったことを覚えています。
 お尻から頭へ冷感が走ると、もうダメだと思いました。
 もう元には戻れないと思いました。

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