後姿のピアニスト ♪ 新編集版 ♪
 しかし、3月1日、予想外のことが、信じられないことが起こりました。

 その日、11時にアルバイトを終えたわたしは手土産のパンを持ってリサイクルショップに寄ったあと、駅のふれあい広場に行ってピアノを弾きました。
 10曲ほど弾きましたが、最後の方は人が集まってきて結構な拍手を貰いました。
 駅を出たあと、自宅に帰ろうかと思いましたが、余りにも天気が良かったので、自転車で未知の場所の探検に出かけました。
 きれいに整備された公園やお洒落なカフェなどを見つけると、自転車から降りてその場の雰囲気を楽しみました。
 その後偶然見つけた大きな楽器店で色々なピアノに見惚れていたら、試し弾きをさせてくれました。
 どれもいい音でした。
 いつか買えるようになったらいいなと思いました。
 その後も新しい発見や出会いにワクワクしながら自転車を漕いでいるとあっという間に夕方になりました。
 風が冷たくなってきたので急いで自宅に帰って自転車に鍵をかけて空を見上げると、夕陽が西方の建物の陰に隠れようとしていました。
 ドアを閉めていつものようにドアポストを覗くと、何か入っていました。
 大きな封筒でした。
 封を切ると、中には卒業証書とメモと小さな封筒が入っていました。

 恐る恐る卒業証書を手に取りました。
 何故これがここにあるのか信じられませんでした。
 2学期の後半から欠席していたので、出席日数が足りていないはずでした。
 どうして卒業できたのかわかりませんでした。
 母と医師が学校と交渉したのかもしれないと思いましたが、どうであれ高卒という資格を得たのは嬉しいことでした。
 これから履歴書を書く時に中退と書かなくても済むからで、喉につかえていた何かが取れたような安堵に包まれました。
 それでも、母にも医師にも感謝の気持ちは起こりませんでした。
 
 卒業証書を置いて、メモを手に取りました。
『高校卒業おめでとう。あなたと一緒に祝えれば良かったのだけど。少しだけど生活費の足しにしてください。体に気をつけて。ダメな母親でごめんなさい。さようなら。母』
 小さな封筒には20万円が入っていました。
 ピン札でした。
 銀行の窓口で下ろしてきたのだろうかと思いましたが、なんの感情もわかないまま封筒にしまって台所の引き出しに入れました。

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