後姿のピアニスト ♪ 新編集版 ♪
 女の長い話が終わった。
 花屋敷の奥さんは何も言わずただひたすら耳を傾けてくれていたが、病室の窓を見てから女に視線を戻した。
「外に出ない?」
 奥さんの優しい声に押されて中庭に出ると、そこには一本だけ植えられている桜の蕾が一輪開きかけていた。

「開花予想通りね」
 その蕾を手で下から押し上げて鼻を近づけたが、すぐに顔をしかめた。
「いつになったら匂いを感じることができるのかしら……」
 抗がん剤治療の影響で嗅覚に異常をきたしているのだという。
「他に咲きそうなものはないかしら?」
 他の蕾を一つ一つ確認していった。

「あれだけみたいね。たった一つだけ……」
 寂しそうに笑って、ぽつりと呟いた。
「あなたも私もひとりぼっちね。娘と夫を亡くした私と、父親と母親を亡くしたあなた……」
 両手を取って見つめられたが、「退院したら(うち)に遊びに来てね」と言った途端、涙を見せまいとするかのように背を向けた。

 震える背中を見てたまらなくなった。
 後ろからそっと奥さんを抱き締めると、腕の中にすっぽりと収まった小さな体が痛ましかった。
 それだけでなく、同じ不幸のニオイがした。
 
 じっとしていると、女の手の上に奥さんの手が被さった。
 柔らかな手だった。
「ありがとう」
 その声は、母親の声に少し似ていた。


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