『後姿のピアニスト』 ~辛くて、切なくて、 でも、明日への希望に満ちていた~ 【新編集版】
 言葉に詰まった。
 どうしてやることもできなかった。
 月に10万円支払うことで精一杯なのだ。
 しかし、これ以上は……と思った時、ある言葉が頭に浮かんだ。
「個人的な伝手(つて)で仕事を探されてはどうですか? この緊急事態の間は〈副業〉を認めますので」
 すると女性社員の顔が少し明るくなった。
 何か当てがあるのだろうか? と思った時、別の声が聞こえた。
「副業を認めるというのはすべての社員に対してということでいいんですよね?」
 新婚ほやほやの男性社員だった。
 男は大きく頷いた。
 彼には当てがあるようだった。
 その説明によると、宅配需要の高まりで、配達員の募集が増えているのだという。
 主に調理品を自転車で届ける仕事で、時給とは違うシステムだが、1週間で10万円くらい稼ぐ人もいるらしい。
 緊急事態宣言が出たら宅配需要がぐんと伸びるので、うまくすれば今の給料を超える可能性もあると算盤(そろばん)を弾いていた。
 
 結局、岩手行きを了承したのが7人、東京に残って副業を探すのが2人、家でじっとしているというのが1人ということになった。
 男は7人に対して明日中の移動を指示し、独身者の車4台に分乗して移動することや、それに入り切らない荷物は男のワンボックスカーで運ぶことを決めた。
 また、電気や水道、ガスなどを一時的に止める必要のある社員に対してすぐに手続きをするよう指示を出すと共に、7人全員を帰宅させた。

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