『後姿のピアニスト』 ~辛くて、切なくて、 でも、明日への希望に満ちていた~ 【新編集版】
 4月5日、8時間かかって現地に着いた。
 途中2回休んだだけなので、皆疲れた顔をしていた。
 それに、午後3時を回ると一気に気温が落ちた。
 途中ラジオで聞いた天気予報では今日の最低気温は1度ということだった。
 1度というのは、東京では真冬の寒さだ。
 しかし、古民家で出迎えてくれたハウス栽培のオーナー夫妻の笑顔に癒された。
 きれいに掃除してくれていただけでなく、『ひっつみ』を準備しているという。
 
 男は思わず口を右手で押さえた。
 この前見た白昼夢を覗かれていたように感じたからだ。
 オーナーの顔をまともに見ることができなかった。
 
 ひと休みした男は、社員と共にテーブルに着いた。
 目の前には豪華なひっつみが用意されていた。
 オーナーの音頭で乾杯したあと箸を伸ばすと、一瞬にして恋に落ちた。
 干したイワナから取った出汁はクセがなくさっぱりとした風味で、それにカニが合うのだ。
 それも、貴重なモクズガニとくるからたまらない。
 特にカニ味噌は旨すぎる。
 濃厚な味わいに溜息が出そうになる。
 残念ながら旬ではないので冷凍品らしいが、それでもこれだけの味わいを出せるのだから、なんの問題もない。
 イワナとモクズガニという川で生息する者同士が奏でるハーモニーに男の味蕾は感嘆の声を上げ続けた。

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