後姿のピアニスト ♪ 新編集版 ♪
 男は昨夜ほとんど眠れなかった。
 緊急事態宣言発令は、想像をはるかに上回る衝撃を精神に与えていた。
 眠気がまったく来ないばかりか、寝酒をしてもさっぱり効果がなかった。
 諦めてベッドに潜り込んだが、色々な不安が次々に頭に浮かんできて目は冴えるばかりだった。
 枕元にCDコンポを持ってきてヒーリング・ミュージックを流したが、リラックスも癒しも得られなかった。
 
 諦めて午前4時にベッドを抜け出した。
 外は真っ暗だった。
 夜明けまでまだ1時間以上あるので当然なのだが、ため息が出た。
 
 電気シェーバーを持ってトイレに入った。
 いつもなら髭を剃り終わる頃にお通じの兆しがあるのだが、今日はほんの控え目にガスが挨拶してくれただけだった。
 トイレから出て洗面所に移動し、泡石鹸で顔を洗ってから化粧水をたっぷりつけた。
 そして、ジェット式のヘアトニックでマッサージしたあと、ヘアクリームを塗り、ドライヤーで髪をセットした。
 それが終わって洗面ボウルに目を移すと、抜け毛に目がいった。
 数えると、28本も落ちていた。
 最近抜け毛が多い。
 頭皮の曲がり角なのだろうか? 
 それとも、ストレスによる一時的なものだろうか? 
 どちらにしても気が滅入ることに違いはない。
 ティッシュで拭ってゴミ箱に捨てたが、その上に1本はらはらと落ちてきた。
 それをつまんで毛根を見ると、膨らみが見つからなかった。
 毛根がほとんどない抜け毛は危険信号だと何かの雑誌で読んだことがある。
 薄毛予備軍か……、
 寝不足の体に重い鉛が被さった。

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