後姿のピアニスト ♪ 新編集版 ♪
「申し訳ないけど、解雇させて下さい」
顔を見るなり、いきなり酷いことを言われた。
「解雇って……」
息が止まりそうになった。
「カフェラウンジは当面のあいだ営業休止になります。そして、いつ再開できるかまったく見通しが立っていません。そういう事情ですのでご理解ください」
顔色を変えずに淡々と言われた。
「でも……」
声が震えた。
「通常、雇用契約を終了する場合は1か月前に予告することになっていますが、大きな災害や営業継続に支障をきたすようなアクシデントがあった場合はその限りではないと明記されています」
契約書を机の上に広げた。
その箇所に赤線が引かれていた。
「でも」
しかし、神経質そうにメガネのフレームを直した彼は、わざとらしい深刻そうな声で遮った。
「宿泊予約のキャンセルが殺到しています。宴会もほとんどキャンセルされました。このままではホテルは立ちいかなくなります。もし緊急事態宣言の期間が長引けば、最悪の場合倒産ということもありえます。ホテルも緊急事態なのです」
睨むように女を見た。
「すべての従業員の雇用を守ることができればいいのですが、今回の事態はそれを許してくれません。大変申し訳ないのですがご理解いただければと思います」
目礼程度に頭を下げて女から視線を外した。
「気持ちと言ってはなんですが、本日の分も合わせて振り込みますので、ご了承ください」
視線を外したまま告げられた。
こちらの意見を聞く気はまったくないようだ。
でも、このまま引き下がるわけにはいかない。
「営業を再開したらもう一度働けますよね!」
しかし彼は首を横に振った。
「わかりません。その時になってみないとわかりません。いま安易なお約束をすることはできません」
また何度も首を横に振った。
「再開してピアニストを雇うことになったら真っ先に連絡をください!」
必死に訴えた。
生活が懸かっているのだ。
なんらかの言質を取らなければ救われない。
でも彼は首を横に振るだけで二度と口を開かなかった。
そして椅子から立ち上がり、横を通り過ぎようとした。
「逃げないでください!」
腕を掴んで引き止めたが、「緊急の会議があるんです。生き残りのための対策会議が」ときつい目つきで睨まれた。
そして、手を振り解いて歩き去った。
呆然と後姿を見送るしかなかった。
しかし、寂しそうに歩くその背中を見ていると、彼も人生の岐路に立たされていることに思い至った。
もし首になったらその影響は自分のそれをはるかに上回るだろう。
彼も被害者予備軍なのだと思うと、責める気が無くなった。
それに、ごねても結論が変わるわけではない。
彼の背中に向かって「首になりませんように」と呟いた。
顔を見るなり、いきなり酷いことを言われた。
「解雇って……」
息が止まりそうになった。
「カフェラウンジは当面のあいだ営業休止になります。そして、いつ再開できるかまったく見通しが立っていません。そういう事情ですのでご理解ください」
顔色を変えずに淡々と言われた。
「でも……」
声が震えた。
「通常、雇用契約を終了する場合は1か月前に予告することになっていますが、大きな災害や営業継続に支障をきたすようなアクシデントがあった場合はその限りではないと明記されています」
契約書を机の上に広げた。
その箇所に赤線が引かれていた。
「でも」
しかし、神経質そうにメガネのフレームを直した彼は、わざとらしい深刻そうな声で遮った。
「宿泊予約のキャンセルが殺到しています。宴会もほとんどキャンセルされました。このままではホテルは立ちいかなくなります。もし緊急事態宣言の期間が長引けば、最悪の場合倒産ということもありえます。ホテルも緊急事態なのです」
睨むように女を見た。
「すべての従業員の雇用を守ることができればいいのですが、今回の事態はそれを許してくれません。大変申し訳ないのですがご理解いただければと思います」
目礼程度に頭を下げて女から視線を外した。
「気持ちと言ってはなんですが、本日の分も合わせて振り込みますので、ご了承ください」
視線を外したまま告げられた。
こちらの意見を聞く気はまったくないようだ。
でも、このまま引き下がるわけにはいかない。
「営業を再開したらもう一度働けますよね!」
しかし彼は首を横に振った。
「わかりません。その時になってみないとわかりません。いま安易なお約束をすることはできません」
また何度も首を横に振った。
「再開してピアニストを雇うことになったら真っ先に連絡をください!」
必死に訴えた。
生活が懸かっているのだ。
なんらかの言質を取らなければ救われない。
でも彼は首を横に振るだけで二度と口を開かなかった。
そして椅子から立ち上がり、横を通り過ぎようとした。
「逃げないでください!」
腕を掴んで引き止めたが、「緊急の会議があるんです。生き残りのための対策会議が」ときつい目つきで睨まれた。
そして、手を振り解いて歩き去った。
呆然と後姿を見送るしかなかった。
しかし、寂しそうに歩くその背中を見ていると、彼も人生の岐路に立たされていることに思い至った。
もし首になったらその影響は自分のそれをはるかに上回るだろう。
彼も被害者予備軍なのだと思うと、責める気が無くなった。
それに、ごねても結論が変わるわけではない。
彼の背中に向かって「首になりませんように」と呟いた。