後姿のピアニスト ♪ 新編集版 ♪
「生きていけない……」
 シングルマザーが嗚咽を漏らした。
 小学生の子供を抱えた彼女は、午前中のベーカリーと夜のスナックのアルバイトで生活費と子供の学費を賄っていた。
 しかし、酒類の提供が夜七時までと決められた途端、スナックは営業できなくなり、彼女は職を失った。
 それに加えてベーカリーが休業となると、彼女の収入は完全に断たれることになる。
「生活保護を申請するしかない……」
 重たそうな足取りでよろよろと立ち去る彼女にかける言葉は、何もなかった。

 バーやキャバレー、スナックなどの店は全国で10万店くらいあると聞いたことがある。
 そこで働く女性はかなりの数になるだろう。
 もしかしたら100万人というレベルかもしれない。
 その中でシングルマザーの人たちも少なくないだろう。
 その人たちが一斉に職を失うとなると……、
 大変なことが起ころうとしていた。

 しかし、他人の心配をしている場合ではなかった。
 女も無収入になるのだ。
 生活保護は他人ごとではなかった。
 それに、ベーカリーのご主人が陽性だったら女は濃厚接触者になる。
 自分が感染していることもあり得るのだ。
 目の前が真っ暗になった。
 しゃがみこんで膝の間に頭を入れた。

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