後姿のピアニスト ♪ 新編集版 ♪
          ♪ 男 ♪

 4月16日、緊急事態宣言が全国に発令された。
 7都府県だけの対象から全国に広がったのだ。
 予想されていたこととはいえ、企業にとっては、特に旅行業界にとっては最悪の宣言が為されたことになる。
 日本全国民に対して移動自粛が要請されたのだ。
 それは旅行をするな、ということだった。
 出張をするな、ということだった。
 日常生活で使う交通機関は別として、飛行機も新幹線も観光バスも観光タクシーも観光船もすべてガラガラになるということだった。
 当然、ホテル、旅館、民宿などに泊まる人はいなくなる。
 それは、1万を超える旅行業社はもちろん、広く観光業に携わる200万人以上の従業員に影響が及ぶことを意味していた。
 
『崩壊』

 首相の会見を見ていて真っ先に浮かんだのがこの言葉だった。
 もちろん、緊急事態宣言発令の必要性は理解できる。
 今はなんとしても感染爆発を抑えなければならないのだ。
 短期間で抑え込まなければならないのだ。
 一企業や一個人のことを考えている場合ではないのだ。
 それはわかる。
 わかるが、感染拡大を抑え込めたとして、その後はどうなるのだろうか? 
 コロナ前の生活が戻るのだろうか? 
 普通に仕事ができるようになるのだろうか? 
 売上と利益が元に戻るのだろうか? 
 男はそうは思わなかった。
 脳裏に浮かんだのは、死屍累々(ししるいるい)の光景だった。
 企業は倒産し、失業者は溢れ、人心は荒廃し、犯罪は増加し、日本全体が疲弊する姿だった。

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