後姿のピアニスト ♪ 新編集版 ♪
 解雇が続いて女の気力はゼロになった。
 職探しをしなければと思いながらも、その気になれず、食材の買い物に行く以外は家の中でごろごろしていた。
 しかし、手持ちのお金が底をついたので、仕方なく通帳2冊とそれぞれのカードを持って銀行に行った。
 
 ATMコーナーの前には行列ができていた。
 外出自粛の呼びかけに協力して自宅で過ごす人が増えているから普段よりも手持ちのお金を持っておきたいという人が多いのだろう。
 少し待っていると7番のATMが空いたので、通帳とカードをバッグから取り出して操作を始めた。
 先ず残高の多い方の口座から10万円を引き出した。
 死亡保険金1,000万円が振り込まれた口座だ。
 通帳に残高を記帳すると、498万円と印刷されていた。
 この10年余りで半分になってしまった。
 このペースでいけばあと10年で終わりか、と思った途端、恐怖が襲った。
 そんなには持たない。
 収入がゼロになったのだ。
 仕事を見つけることができなければ3年も持たないだろう。
 そう思い至ると、膝が震えてきた。
 その時、後ろで咳払いの音が聞こえた。
 振り向くと列が長くなっていた。
 待っている人は皆イライラしているようだった。
 慌てて通帳をしまってもう一つの通帳をATMに差し込んだ。
 18歳の時に家賃の年額前払いなどに使って残高は1,000円を切っていたが、その後一度も記帳していなかったので再度確認しようと思ったのだ。
 僅かばかりでも利子が付いていれば嬉しいな、と思う間もなく印刷を終えて通帳が出てきた。
 
 残高を見て息を呑んだ。
 その数字が信じられなかった。
 目を擦った。
 でも数字に変化はなかった。
 100万円。
 間違いなく、入金100万円と印刷されていた。
 その日付は、母が死んだ正にその日だった。

< 206 / 373 >

この作品をシェア

pagetop