後姿のピアニスト ~辛くて、切なくて、 でも、明日への希望に満ちていた~ 【新編集版】
 リモコンの再生ボタンを押すと、落ち着いたピアノソロが聞こえてきた。
『SITTING BY THE FIRE』
 クリスタルな音色だが、焚火(たきび)に当たっているような温もりも感じる。
 赤ワインを手に持った彼の目に炎が踊っている様子を想像しながら、男はグラスを掲げて彼のアルバムにそっと当てた。
 
 シラーを飲みながら聴き惚れていたら2曲目が始まった。
『MONTANA SKIES』
 ゆったりとしたリズムの中でピアノの音が羽ばたき、空を飛んでいるようだ。
 上空から見る雪景色は本当に素敵だよ、と語りかけている。
 男の心はモンタナへ飛んだ。
 カナダに隣接するアメリカ最北部の州へ。
 日本とほぼ同じ面積に百万人位しか住んでいない自然豊かな場所。
 目を瞑ると、雪原を歩くヘラジカの姿が見えた。
 どこへ行くんだい? と問いかけると、ヘラジカは立ち止まってちょっと顔を向けたが、すぐに歩き出した。
 行先は風に訊いてくれとでもいうように。
 その後姿を見つめていると、風に乗って舞う雪の精が近づいてきた。
 そして彼女の両手が男の瞼を覆い、彼女の唇が男に重なった。
 夢の中へ誘うように。

< 21 / 373 >

この作品をシェア

pagetop