後姿のピアニスト ♪ 新編集版 ♪
 彼の周りで困惑した表情を浮かべている7人がいた。
 男の会社から派遣された若手社員だった。
 誰もが戸惑っていた。
 やっと農作業に慣れてきたのに、収穫した作物を出荷できない事態に直面して、どうしていいかわからなくなっていた。
 それだけでなく、雇用の心配があった。
 出荷量が半減する事態が続けば、そして、このまま手をこまねいていれば、解雇されるのは時間の問題だということは誰の目にも明らかだった。
 
 その夜、7人は緊急会議を開き、この危機をどう乗り切るかについて話し合った。
 新しい販路開拓が必要であることはすぐに一致した。
 しかし、どのような販路を開拓するかで意見が分かれた。
 高級ホテルに変わる新たな法人顧客の開拓を主張するグループと、個人顧客の開拓、それも、高いリピート率が見込める富裕層の開拓を優先させるべきだというグループに分かれたのだ。
 法人顧客推進派は、高級スーパーだけでなく広く食品スーパーを開拓する必要性を説いた。
 巣ごもり消費で業務用食材の需要が激減する代わりに家庭内消費は拡大を続けるからというのが論拠だった。
 それに、個人客を開拓するとなると、その管理が大変なだけでなく少量個別発送への対応が必要になり、とても今の体制では無理だと結論付けた。
 
 それに対して富裕層個人客推進派は、高級スーパーと高級ホテルに絞ったブランド戦略を崩すべきではないと主張した。
 一般の食品スーパーとの取引を拡大すれば今までのイメージは一気に壊れてしまうと危惧した。
 だから薄利多売の道を進むことは自殺行為だと声を荒げた。
 それよりも、高級なものに触れる機会が多く、かつ、健康志向の高い富裕層を開拓できれば、安定した出荷が見込めるだけでなく、彼らのコミュニティ内のクチコミで富裕層の輪を広げることができると主張した。
 
 すぐさま法人顧客推進派が反論した。
 どこで富裕層を見つけるのか? と。
 一から集めるのはとんでもない費用がかかると食ってかかった。
 対して富裕層個人客推進派は、富裕層の顧客名簿を持っている企業との連携を進めると反論した。
 具体的には? と問われると、これから探す……と言葉を濁した。
 しかし、心当たりが思い浮かぶ者は誰もいなかった。
 それ見ろ、という感じで法人顧客推進派が勢いを増した。
 今は緊急事態なのだからブランドイメージに拘っている場合ではないと押し込んだ。
 生きるか死ぬかの瀬戸際なのだから、なりふり構っていられないと畳みかけた。
 しかし、富裕層個人客推進派も黙っていなかった。
 ブランドを築き上げるには気の遠くなるような長い年月が必要だが、崩れるのは一瞬で、それを元に戻すことは至難の業だと反論した。
 だからどんなに苦しくても我慢しなければならない、安易な道へ進んではならないと強く諫めた。
 そして、ピンチに怯えるのではなく、ブランド価値を更に高めるためのチャンスと捉えるべきだと訴えた。
 法人顧客推進派は反論しなかったが、頷くこともなかった。
 深夜になっても2つのグループが交じり合うことはなかった。

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