『後姿のピアニスト』 ~辛くて、切なくて、 でも、明日への希望に満ちていた~ 【新編集版】
        ♫ 女 ♫

 花屋敷での生活を始めた女は家事全般を受け持つことになった。
 本来なら仕事を探すことを最優先に考えなければならないのだが、奥さんの強固な反対によって求職活動を取り止めることにしたのだ。
「こんな緊急事態宣言中に無理して探す必要はない。公共交通機関で移動したり、不特定多数の人と接触して感染の危険性を高めてはいけない」と諭されたのだ。
 そして、「何十年も専業主婦をしてきたから飽きちゃった。家事を全部任せるからお願いね」と一方的に決められてしまった。
 もちろんそれは女を案じての発言だったし、無収入の女が肩身の狭い思いをしなくても済むようにという配慮からだった。
 部屋に戻って一人になった時、涙を堪えることができなかった。
 
 翌日から調理や掃除、洗濯と忙しい毎日が始まった。
 一人暮らしの時もマメにやっていたので苦痛ではなかったが、18歳の時に母親と死別した女は、すべてが自己流であったことを気づかされた。
 洗濯物の干し方一つにしてもそうだった。今までは洗い上がったものをバサバサと振ってシワを伸ばしてから干していたが、それだと洗剤のカスや糸くずが床に散らばってしまうし、シワも十分に伸ばせていないと注意された。
 奥さんは見本を示すように、洗濯物を小さく畳んで、それを両手で挟んでパンパンと叩いてから干した。
 女が真似てやってみると、小さなシワまで伸びていることがわかった。
 それに、これをリズミカルにやると結構楽しかった。
 天気の良い日は必ず、女が叩くパンパンという音がベランダで響くようになった。
 それは、生きていたらこういうことも教えてくれたであろう母親に向けての伝心音のようでもあった。
 
 わたしは大丈夫。
 なんとか元気でやっています。
 心配しないでください。
 
 そう伝えるかのように、今日も空へ向けてパンパンと音を飛び出させた。

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