後姿のピアニスト ~辛くて、切なくて、 でも、明日への希望に満ちていた~ 【新編集版】
 奥さんが電話をかけ終わるとすぐにペダルを漕ぎ始めた。
 日が暮れる前に届けたいので必死になって漕ぎ続けた。
 前と後ろに結構な重さの野菜を積んでの運転は楽ではなかったが、心と体に漲るエネルギーが両足に力を与えていた。
 無収入という負い目と日々戦っている女にとって、社会に貢献できるという喜びは大きかった。
 ペダルを漕ぐ度に自分が確かに存在していることを感じることができた。
 
 自転車で30分ほど走ると、子ども食堂を運営するNPO法人が入る建物が見えてきた。
 奥さんから、郵便局の隣にあるコンビニの2階だと聞いていたのですぐに見つけることができた。
 
 恰幅の良い中年女性が出迎えてくれた。
 責任者だという。
 当初学校のない休日だけに活動を行っていたが、新型コロナの影響で休校になってから毎日活動するようになったのだという。
 しかし、資金も食材もボランティアもまったく足りない状態になり、存続の瀬戸際に立たされているのだと嘆いた。
 
「ビルのオーナーさんや1階のコンビニさんから強力なご支援を頂いているお陰で今までなんとか維持できていたのですけど、休校がこのまま続くと……」
 彼女はその先の言葉をぐっと飲み込んだ。
 それでも、野菜の入った箱と大きな袋を渡すと、表情がパッと変わり、「本当に助かります」と頭を下げた。
 そして、ありがたそうに野菜を見つめた。
 それを見て、「わたしにお手伝いできることありますか?」という言葉が口を衝いた。
 野菜を届けるだけで満足しているわけにはいかないと思ったからだ。
 自分だって路頭に迷うかもしれなかった。
 それを花屋敷の奥さんに救ってもらった。
 今度は自分の番だと思った。
 お役に立つ番が来たのだと。
 
「本当ですか? お手伝いいただけますか?」
 彼女は、救いの神が現れたかのような目で女を見つめた。
 ボランティアは、調理スタッフ、食器洗い担当、掃除や片づけ担当、子供たちの遊び相手、に分かれるそうだが、食事前後に子供たちと遊ぶスタッフがいないのだという。
 それに、朝から夜まで親が働きに出ていて、1日中一人ぼっちで過ごす子も少なくないので、それをなんとかしたいのだそうだ。
 
「ちょっと考えさせてください」
 返事を保留にしてその場を辞した。
 花屋敷に居候になっている身分としては勝手に決めることはできない。
 奥さんとよく相談して家事と両立できる方法を探さなくてはならないのだ。

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