後姿のピアニスト ~辛くて、切なくて、 でも、明日への希望に満ちていた~ 【新編集版】
 1時間経っても彼女はやってこなかった。
 連絡もなかった。
 それに、店は満席になっていた。
 男は針のむしろに座っているような居心地の悪さを感じていた。
 店の人は何も言わなかったが、困っているのは手に取るようにわかった。
『シェフのお任せコース』を予約していたので、それを早く調理して出したいに違いない。
 これ以上待たせるのは無理だと思い、ホールスタッフを呼んで料理を出すように頼んだ。
 そして、ビールを注文した。
 
 ビールと一緒に前菜が運ばれてきた。
『タコのグリル、ズッキーニ添え』
 もちろん2人分。
 白いシンプルな皿に薄く切られたズッキーニが七枚並べられ、その上にグリルした薄切りのタコが置かれ、プチトマトとレモンスライスが添えられている。
 レモンを絞ると、塩とコショウだけのシンプルな味つけとマッチして見事なハーモニーを奏でた。
 プロセッコだったら最高のマリアージュなのにな、と思いながらあっという間に食べてしまった。
 
 皿を下げに来たスタッフが「こちらの料理をどうしましょうか」と訊いてきたので、「そのままで」と返した。
 今すぐにでも来るかもしれないのだ、下げさせるわけにはいかない。

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