後姿のピアニスト ~辛くて、切なくて、 でも、明日への希望に満ちていた~ 【新編集版】
 最後の瞬間に立ち会うことはできなかった。
 病院に駆けつけた時には既に息を引き取っていた。
 覚悟をしていたつもりだったが、彼女の死を受け入れることはできなかった。
 昨日まで息をしていたのだ。
 酸素マスクの力を借りてではあったが、間違いなく息をしていたのだ。
 生きていたのだ。
 この世に存在していたのだ。
 ほんの少ししか会話をすることはできなかったが、握った手は温かかったのだ。
 しかし、触れた手に温かみは残っていなかった。
 これからどんどん冷たくなっていくのかと思うと居たたまれなくなり、病室から逃げ出すように廊下に出た。
 壁に背を付けて天井を見上げると、明かりが滲んで見えた。
 残っていないはずの涙が零れ、生きている意味と共に流れ落ちた。
 
 立っていられなくなった。
 うずくまって両手で頭を抱えた。
 何かを叫びたかったが、何を叫んだらいいのかわからなかった。
 う~~~~~~~~~~っという詰まったような声しか出せなかった。
 
 その時、手が肩に触れた。
 彼女の義兄だった。
 彼女と会うきっかけを作ってくれた恩人であり、交際を温かく見守ってくれた人だった。
 彼の目は真っ赤に腫れ、鼻から水が滴り落ちていた。
 声を出そうとしたようだったが、彼の口からは何も出てこなかった。
 それでも何かを伝えるような目で見つめられ、腕を取られた。
 そして、立ち上がるようにと引き上げられた。
 よろけながらもなんとか立ち上がると、背中を押された。
 病室に戻ると、彼が私の右手を取り、彼女の顔に触って欲しいというように誘導された。
 
 頬を撫でた。
 冷たかった。
 ツルツルの頭を撫でた。
 冷たかった。
 閉じた瞼に触れた。
 冷たかった。
 目が開かないことはわかっていたが、それでも奇跡が起こるのを待った。
 待ち続けた。
 しかし、瞼が開くことはなかった。
 彼女は永遠の闇の中に連れ去られたのだ。
 後ずさりするように彼女から離れて病室を出ると、逃げるように病院をあとにした。

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