後姿のピアニスト ~辛くて、切なくて、 でも、明日への希望に満ちていた~ 【新編集版】
 いつの間にか、思い出が詰まった公園に来ていた。
 池で恋人同士が楽しそうに乗るボートを見ていると、彼女と交わした会話がすべて蘇ってきた。
 繋いだ手の温もりが蘇ってきた。
 代わりばんこに飲んだキャラメルマキアートの甘い香りが蘇ってきた。
 もうそこはただの池ではなかった。
 彼女と過ごした池なのだ。
 彼女を見て、彼女を感じて、彼女に触れて、彼女に見つめられた特別な場所なのだ。
 もう彼女と出会う前に戻る事なんてできるわけがない。
 
 彼女の洋服、
 パジャマ、
 下着、
 靴下、
 スリッパ、
 靴、
 サンダル、
 化粧品、
 歯ブラシ、
 食器、
 コップ、
 そして、写真、
 それに、2人で聴いたCD、
 2人で観たDVD、
 2人で頭をくっつけて寝た大きな枕、
 それから、
 彼女が裸の上に羽織った男物の白いワイシャツ、
 2人で入ったバスタブ、
 2人で取り合いをしてシャワーを掛け合ったシャワーノズル、
 2人で体を拭き合ったバスタオル、
 2人で髪を乾かし合ったドライヤー、
 2人で使った爪切り、
 どちらが早く覚えるか競い合ったイタリア語の本、
 それ以外にも、
 彼女がアイロンをかけて新品のようにしてくれたハンカチ、
 スーツやシャツやズボンにもアイロンをかけてくれた。
 それから、
 膝の上で耳掃除をしてくれた綿棒の入ったプラスチックのケース。

 何を見てもどこを見ても部屋中彼女だらけなのに、もう彼女はいない。
 彼女との思い出だけが取り残されて、独りぼっちになった自分を取り囲んでいる。
 切なくて……、
 寂しくて……、
 どうしたらいいのかわからない……、
 会いたい……、

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