後姿のピアニスト ♪ 新編集版 ♪
 10日後、男はシベリアの上空にいた。
 足元がかなり冷たくて、毛布1枚では眠れそうになかった。
 キャビンアテンダントに声をかけたが、追加の毛布はないと言われた。
 エコノミーの客が毛布を2枚要求するのは理不尽とでも言いたげな態度だった。
 仕方がないので足元に置いていたキャリーオンバッグに予備の靴下を入れていなかったか探したが、見つけることはできなかった。
 旅慣れている自分がこんな初歩的なミスをするなんて……、
 思わず唇を噛んだが、今更後悔してもどうしようもなかった。
 足首を交差して温もりが逃げないようにして目を瞑った。
 しかし、睡魔は近寄って来なかった。
 疲れているのに中枢神経が覚醒したままだった。
 眠るのを諦めて、上着の内ポケットに入れた薄いビニール袋を取り出した。
 すると、彼女の骨と一緒に入れたペアリングが隣席の読書灯の光を受けて生きているように輝きを放った。
 一緒だからね、
 心の中で囁いた。
 一緒に旅しようね、
 もう一度心の中で囁いてから、骨が壊れないようにそっと内ポケットに戻した。

 ポーランドの上空に差し掛かった。
 寒さは変わらなかったが、眠ることを諦めたのでどうでもよくなっていた。
 機内モニターで空路を確かめると、オーストリアの上空を経てアルプスを越えた先に目的地があった。
 もうすぐだよ、
 胸にそっと手を当てて彼女に告げた。

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