後姿のピアニスト ♪ 新編集版 ♪
 彼女の傍を離れることはできなかった。
 埋めたところに手を置いたまま動かなかった。
 びしょ濡れの体は冷え切り、感覚は無くなっていた。
 このまま死んでもいいと思った。
 一緒に遠い所へ行きたいと思った。
 穏やかになった海は子守歌のような波を寄せていた。
 
 …………
 
 いつの間にか眠っていた。
 夢を見ていた。
 あの運転手の夢だった。
 あの曲をずっと口ずさんでいた。
 男はルームミラー越しにそれをじっと見ていた。
 目的地に着いてバスを降りたが、バス停から動かず、運転手が戻ってくるのを待った。
 ずっとずっと待った。
 バスが戻ってきてドアが開くと、運転手が微笑んだ。
 男は微笑みを返してバスに乗り込んだ。
 一番後ろの席に座って遠ざかる海岸を見ると、彼女を埋めた場所を月光が照らした。
 すると、砂の中から彼女が舞い上がって、男が遠ざかっていくのを上空から見つめていた。
 彼女が息を吐くと、男の左手の小指に何かが絡まった。
 でも、何も見えなかった。
 もう一度息を吐くと、その息は男の指に絡まった何かと一緒に空へ舞い上がっていった。
 そして物凄い勢いで東の方角へ飛んでいった。
 それを見届けた彼女は砂の中に戻っていった。
 
 …………

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