後姿のピアニスト ~辛くて、切なくて、 でも、明日への希望に満ちていた~ 【新編集版】
 翌26日、オーナーへのプレゼンが行われた。
 リーダー格社員によると、オーナーは腕を組んでじっと聞き入り、プレゼンが終わるまで微動だにしなかったらしい。
 プレゼンの最後に「総投資額は500万円」と告げると、オーナーは眉間に皺を寄せたという。
 それを見て社員たちに緊張が走り、空気が凍ったように感じたらしい。
 このような厳しい時期に多額の投資が必要な提案をすべきではなかったと誰もが思ったらしい。
 しかし、オーナーの返事はそんな心配を吹き飛ばすものだった。
「やりましょう」という揺るぎない声が返ってきたのだという。

「オーナーは凄い人ですよ」
 リーダー格社員が漏らした感嘆の声が男の耳に響いた。

 オーナーはプロの農業経営者であると共に、プロの投資家でもあったようだ。
 新型コロナウイルスの影響で株式市場が混乱している中、タイミングを見計らった売買で利益を上げていたのだ。
 株価が18,000円を割った4月第1週に余裕資金の多くを株につぎ込んだらしい。
 多くの投資家が売りを浴びせている時に買いに走ったのだという。
 世界中が金融緩和でジャブジャブの状態になっているから反騰するのに時間はかからないという読みからだった。
 
 彼の読みは当たった。
 多くの企業が大幅な減収減益に追い込まれ、企業倒産が続出し、失業率が一気に上がっているのに株価だけが急上昇した。
 そして、一時的に23,000円を回復した6月第2週にすべての株を売った。
 粗利益は600万円を超えていたらしい。
 税引き後でも500万円を手にすることができたようだ。
 株に投資した元本を維持しながら、新な余裕資金を手にすることができたのだ。
 
 しかしオーナーの凄いところはそれだけではなかった。
 事業投資のタイミングについても確固たる信念を持っていたのだ。
「景気の底で投資するのが勝ち組のセオリーです」と言ったというのだ。
 企業が受注を渇望する不景気の時にこそ投資すべきだと言い切ったという。
 更に、「合い見積もりを取ればもっと少ない額の投資で済むと思いますよ」と表情を変えずに断言したという。
 
「凄い人だな……」
 リーダー格社員と同じ言葉が男の口から漏れた。

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