後姿のピアニスト ~辛くて、切なくて、 でも、明日への希望に満ちていた~ 【新編集版】
 よし! と気合を入れて再びピアノに向き合い、父の声を待った。
 すぐに聞こえてきた。
「さあ次は整音だよ。ここで手を抜いたら今までの作業が台無しになってしまうから、耳と指先に神経を集中して丁寧にやりなさい。ハンマーに紙やすりをかけて調整しなさい。針を刺して整えなさい。一音一音丁寧に整えなさい。妥協してはいけないよ。完璧にやるんだ。できたかな?」
 女は頷いた。
 完璧かどうかはわからないが、これ以上は無理というレベルまで整音をすることができた。
 
「では、仕上がりの確認をしよう。全体のタッチ、音量、音色、ペダルなどのバランスをよく確かめなさい」
 ピアノチェアに座って色々な曲を弾いた。
 クラシック、ジャズ、映画音楽、バラード、ボサノヴァ。
 目を瞑って耳に神経を集中して全体のバランスを確かめた。
 
 弾き終わって父の言葉を待った。
 どうかな? 
 少しドキドキした。
 どうかな?
 ドキドキが強まった。
 どうかな?
 心臓が口から飛び出しそうになった。
 たまらなくなって目を開けた時、声が聞こえた。
「いい仕事ができたね」
 父の左手が女の左肩に優しく触れた。
 ありがとう。
 その手に向かって頭を下げた。
 すると、女の肩の中に父の手が吸い込まれていった。
 お父さん……、
 感触が残る左肩に右手を置くと、ほんの少し温かく感じた。
 その温もりに暫く浸っていたかった。
 しかし、まだ仕事が残っていた。
 さあ、もうひと踏ん張り!
 外装を戻してピカピカに磨き上げてすべての工程を終えると、心地良い疲れが全身を酔わせるように包み込んでくれた。

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