後姿のピアニスト ♪ 新編集版 ♪
「あらっ!」
 ルーターの設置作業が終わった部屋でパソコンを立ち上げていた奥さんが珍しく大きな声を上げた。
 久々に見たメールの中に思いがけないものがあったようだ。
「どうしたのですか?」
 女が近づくと、見て見て、というように画面を指差した。
「あの会社が面白いことを始めたみたいなの」
 面白いこと? 
 奥さんの言っていることがよく呑み込めないまま画面を覗き込むと、タイトルが目に入った。
『ビジネス・ソリューション・カンパニー』と表示されていた。
 意味がわからなかったのでタイトルの下の文章に視線を移すと、新たな事業分野が示されていた。
『新鮮朝採れ野菜定期便』『ICTを活用した農業の生産性改善支援』『古民家活用ビジネス支援』を核とした『岩手県の産業・観光促進事業』
 奥さんがその中の一つに指を当てた。
「『古民家活用ビジネス支援』って書いてあるでしょう。これって、古民家宿も入るわよね」
「そうですね。でも、旅行代理業の会社が……」
 すとんと腑に落ちない文字から目が離せなかった。
「そうね。とても大きな変わりようよね。でも、朝採れ野菜の定期便は今やっていることだし、若い社員が古民家で共同生活しながら農業に従事しているし、農業や古民家と繋がるビジネスへの移行はそれほど変じゃないかもしれないわよ」
「確かに……」
「それに、本社を岩手に移転するって書いてあるから、本腰を入れてやる気だと思うわ」
 奥さんが指差す箇所を見つめながら、次第に腑に落ちてくるようになった。
 よく考えてみれば、旅行代理業の会社は宿泊業、つまりホテルや旅館などとの繋がりが深く、旅行客に人気を博する施設がどのようなものか熟知している。
 その経験や知識を活かせば、古民家を活用した宿泊施設への貴重なアドバイスを行えるはずなのだ。
 だから決して本業から飛び地へ移るわけではない。
 視点を変えて会社の定款を変更しただけなのだ。
 なるほど、
 社名に視線を移した女は、『YOUR DREAM』に込められた想いがわかったような気がした。
〈あなたの夢を支える〉というメッセージが込められているのだ。
 いや、〈夢を叶えさせてみせる〉という更に強いメッセージかもしれない。
 どちらにしても、命名し、今回の決断をした人物、つまり、この会社の社長の発想と行動力は半端ではないと思った。
 そして、その人物像に対する興味がじわじわと沸いてくるのを感じた。


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