後姿のピアニスト ~辛くて、切なくて、 でも、明日への希望に満ちていた~ 【新編集版】
          ♪ 男 ♪

「意外に近いんですよ」
 リーダー格社員が車のナビに住所を打ち込んだ。
 先日社員たちが待つ古民家に向かった時に通ったリンゴ園の近くが目的地だという。
「道が狭いから気を付けて運転してくださいってメールに書いてありました。狭い上に昨日からの雨でぬかるんでいるかもしれないから慎重に運転してくださいとも書いてありました」
「わかった」
 頷いた男は、狭くぬかるんでいるであろう悪路を想像しながらアクセルペダルに置いた足をゆっくりと踏み込んだ。

 雨が降りしきる中、10分ほど走って脇道に入った。
 メールの通り、前から車が来たらすれ違うことができない狭い道だった。
 その上、想像した以上にぬかるんでいた。
 4WDなのでぬかるみにタイヤを取られる心配は少なかったが、それでも時々腹を擦る音が聞こえて、その度に大きく減速した。
 
 少し走ると砂利道になり、カーブを右の方に曲がると、先の方に開けた場所が見えてきた。
 もう大丈夫だと思ってアクセルを少し踏み込んだが、突然、何かが山側から飛び出してきた。
 とっさにブレーキを踏んだ。
 しかし、間に合わなかった。
 ぶつかった衝撃でエアバッグが膨らんで視界が遮られた。
 えっ? と思う間もなく車が揺れて傾き、崖を滑り落ち始めた。
 あっ? と思った瞬間、車が1回転した。
 衝撃で混乱する中、車は谷へと落ちていった。


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