『後姿のピアニスト』 ~辛くて、切なくて、 でも、明日への希望に満ちていた~ 【新編集版】
        ♪ 男 ♪

 ここはどこだ……、
 気がつくと、車は止まっていた。
 男の前と横にはエアバッグの残骸が(しぼ)んでいた。
 
 彼は?
 横にいた。
 前と横のエアバッグが運転席と同じ様に萎んでうな垂れていたが、シートベルトが彼の体をしっかり固定していた。
 
 助かった……、
 ほっとすると、大きなため息が出た。
 車が回転し始めた時は死を意識したが、あの世に連れ去られることはなかった。
 しかし、身動きができない。
 シートベルトが強くロックされていた。
 体を捻じることができないので左手を伸ばして彼の体を揺すったが、なんの反応もなかった。
 心配になって胸に手を置くと、僅かに上下しているのが確認できた。
 大丈夫だ、呼吸をしている。それに、見たところ血が出るような怪我はしていないようだ。良かった。
 胸を撫で下ろした。
 といって、このままではまずい。
 助けを呼ぶためにシートベルトを外して車の外へ出なくてはならない。

 ロックされたシートベルトを思い切り引っ張った。
 しかし、ロックは解除されなかった。
 バックルからタングを抜こうとしたがびくともしなかった。
 何度も試みたが、結果は同じだった。
 男はシートベルトに押さえつけられたまま身動きができなかった。
 ヤバイと思った。頭が混乱して、どうしていいかわからなくなった。しかし、落ち着かなければならない。なんとか解決方法を探さなくてはならない。
 気を取り直してコンソールボックスを開けたが、CDしか入っていなかった。
 グローブボックスには……手が届かなかった。
 何が入っていたか記憶を辿ったが、車検証などの書類しか思い浮かばなかった。
 糸口はどこにもなかった。
 それでも諦めきれずにもう一度バックルの赤いボタンを押した。
 でも、外れなかった。
 シートベルトを思い切り引っ張ったが、緩まなかった。
 右肩上のショルダーアンカーを恨めし気に見つめるしかなかった。

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