後姿のピアニスト ♪ 新編集版 ♪
 助手席の社員のシートベルトを切って楽な態勢にした。
 しかし、意識を取り戻す気配はなかった。
 彼が受けた衝撃はかなりのものだったのに違いない。
 そう思うと心配が募ったが、とにかく一刻も早く救助を呼ばなければならない。
 男は上着の左胸の内ポケットに手を入れた。
 しかし、探しているものはなかった。
 スマホがどこかに消えていた。
 右胸の内ポケットに入っていた長財布もなかった。
 車が回転している間に飛び出したのかもしれなかった。
 社員のスマホは? 
 彼の内ポケットを探ったが、なかった。
 もしかしてと思ってお尻のポケットを探ったが、手に触れるものは何もなかった。
 2人のスマホはどこかに消えていた。

 しかし、そんなことに落ち込んではいられない。
 とにかく車から出なければならない。
 ドアロックを解除してインナーハンドルを引いてドアを押した。
 しかし動かなかった。
 びくともしなかった。
 ドアは開きそうになかった。
 助手席に体を伸ばしてインナーハンドルを引いたが、運転席側と同じだった。ドアは諦めるしかなかった。
 残るはパワーウインドウだけになった。
 頼む、開いてくれ、と強く念じてスマートキーのボタンを長押しした。
 しかし、開かなかった。
 動く気配もなかった。助手席も後部座席も同じだった。
 窓を開けることさえできなかった。
 万事休す! 
 救助が来るのを待つしかないのかと落ち込んだが、その時ふっと首筋の空気が動いた。

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