後姿のピアニスト ~辛くて、切なくて、 でも、明日への希望に満ちていた~ 【新編集版】
 男がさっき見たのは、後姿のピアニストだった。
 あのホテルで見たピアニストに違いなかった。
 ピアノを弾く哀しげな後姿が瞼に浮かんだ。
 
 男はペンを置き、スマホを手に取った。
 パソコンから取り込んだ音楽を再生するためだ。
 部屋の明かりを消して、リストから『WINTER STORIES』を選び、8曲目を選択した。
『NORTHERN LIGHTS』
 北極圏のオーロラをイメージして作られた曲。
 氷のような響きのピアノをバックにウッドベースが幻想的なソロを奏でる。
 目の前でオーロラが踊っているようだ。
 神秘的な天空ショーに魅せられていると、フェードアウトが始まった。
 そして静寂が時を刻んだあと、エレキピアノをバックに生ピアノの厳かなメロディが部屋を包み込み始めた。
『FROSTED WINDOW』
 霜で覆われた窓? 
 外の景色がはっきりと見えない窓? 
 すべてが歪んで見える窓? 
 目に映る景色が閉ざされた時、人はどういう反応を見せるのだろうか? 
 男は立ち上がって、窓に近づいた。
 まだ曇ったままだったが、それでもぼんやりと外の明かりが滲んで見えた。
 すると、「心の目で見るんだよ」という声が聞こえたような気がした。
 心の目? 
 それって……、
 目を瞑って意識を集中した。
 しかし、何も見えなかった。
 曲が終わりに近づいても、まだ何も見えなかった。
 自分には心の目はないのだろうか……、
 挫けそうになりながらもピアノの音に集中していると、ぼんやりと何かが見えた。
 音符のようだった。
 それが静かに舞い始めた。
 しかし、エンディングと共にそれは消えていき、また何も見えなくなった。
 落ち込む中、最後の曲が始まった。
 鐘が鳴るような重いピアノの音が聞こえてきた。
 その上に哀しくも優美な響きが重なった。
『STARRY NIGHT』
 煌めくような満天の星空。
 ピアノ座が瞬き、指が、後姿が、微笑みが、次々と浮かんでくると、愛しいあの人の面影を連れてきた。
 会いたい……、


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